パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

自助グループで1周年を迎えて

2週間前のミーティングで、自助グループに繋がって1周年のお祝いをして頂きました。

 

バースデーミーティングの1ヶ月前くらいから、自分の1周年が楽しみすぎて頭の中は

 

「祝1周年!私♡♡♡」

 

みたいな気持ちでいっぱいでした。

 

そのくらいパパのギャンブル依存症が分かって、家族の自助グループに繋がることができてからの私の1年は濃いぃぃ時間でした。

 

色んな想いがある中で、バースデーミーティングではどんな話をしよう??と、1年を振り返って色々と思い出し、それこそ1ヶ月くらい前から何を話そうか考えていました。

(楽しみにしすぎ!笑)

 

1年前、初めて自助グループに繋がった日。。

 

その頃の私は、5月にパパの大きな借金発覚、6月初旬にギャンブル依存症の診断があり、初めてギャンブル依存症という病気があるという事を知って、関連書籍を大量に買い漁り読み耽る日々。。

 

パパは診断を受けた精神福祉保健センターの本人の会へ参加し、私も精神福祉保健センターで勧められた家族会へ翌月参加することを心待ちにしていました。

 

ですが『家族に連れられて診断を受けただけ』状態のパパは、今考えると"否認の真っ最中"といった感じで、借金のことも浮気のことも病気のことも真剣に取り合おうとは思っていなかったと思います。

 

私も私で、その当時は「パパの問題は私の問題!!」と思い込んでいたので、苦しい苦しい。

 

パパには何を話しても話にならないし、友達に話しても心から楽になれることはないし、子供達には日常があるし、ドン底からの絶望みたいな最悪の感情を引きずりながら何とか辛うじて日常生活を送っていた感じでした。

 

「早く家族会へ行ってみたい」

 

昨年の6月はそう思い続けていました。

 

そんな日々を送る中で、ドン底と絶望の極限状態に耐えきれなくなり

 

「独特だからちょっと馴染みにくいかもしれないよ」

 

と精神福祉保健センターの方に言われていたけれど、精神福祉保健センターの家族会ではない自助グループに参加してみることに。

 

それが今も通っている自助グループとの出会いでした。(2017.6月下旬)

 

"すがるような気持ち"とは正にこの時のことを指すと思います。

 

私が参加した日は、たまたまそのグループの創立12周年のバースデーでした。

 

恐る恐る会場に足を踏み入れた私に「どうぞどうぞ〜」と優しく声をかけて下さった仲間達。

 

そして第一声に。。

 

「ギャンブラーご本人さんですか(*´꒳`*)?」

 

と聞かれました!笑

 

8年間、ギャンブル依存症という病を目の前に戦い続けてボロボロになり、ようやく辿り着いた安息の地で、まさかのギャンブラー本人と間違われるという!!笑

 

「いやぁ、私はギャンブルは全然やらないんですぅ」

 

とか言いながら、まさかの展開に心の中で笑いました!笑

 

その後、旦那がギャンブル依存症と診断されて、家族会の日まで待たずに参加させて頂きましたと話し、お隣に座っていた仲間がとても親切に色んな話を教えて下さり、緊張MAXな私の心をほぐして下さいました。

 

もう一つ、この日参加していた仲間が全員年上の女性だったことが、年上の女性に萎縮してしまうというAC(アダルトチルドレン)の問題を抱える私としては怖かったのですが、

 

それも同じ"ギャンブルの問題に影響を受けた家族"という経験した先行く仲間としての温かい言葉掛けの中で、怖さが解けていく感じがしました。

 

さらに、この日はグループの12周年で大きなケーキでお祝いをする日だったこともあり、私の殺伐とした気持ちを和らげてくれる、とても素敵な時間を過ごすことが出来ました。

 

また、その日に参加していた仲間の分かち合いを聞いて、共感できる部分がとても多くて「こうやって苦しい思いをしてたのは私だけじゃないんだぁ。。」と本当に救われるような気持ちになったことを覚えています。

 

確かに読み合わせの中で馴染みのない言い回しや、独特の表現が出て来たり、私が期待していた様な"ギャンブル依存症はこうすると治る!" みたいな、特効薬的な解決策は見出せなかったけれど、それでも分かち合いの不思議と救われるような感覚が心地よくて、翌週も参加してみようと思いました。

 

司会の方から、初めての方は6回は参加してみてから継続するか決めることをお勧めしていますと言われて

 

『藁にもすがる思いで来たし、よくわからなくても、とにかく素直に6回は参加してみよう!』

 

と思い、あっという間の1年を迎えました。

 

通っていくうちに、仲間と分かち合い以外のお話もできるようになり、仲間から「初めて来た時は分かち合いの中で泣いてしまう人も多い中、淡々と話をしていて強いなぁと思ったよー」と言われたことが、1番私を表している一言なんだろうなぁと改めて感じます。

 

バースデーミーティングで頂いたアファメーションの中でも「強い」と「素直」のお声を多く頂きました。

 

『泣く』という感情が欠落しているせいで強く見えてしまう私ですが、それが私なんだなぁと、1周年を迎えて感じます。

 

ギャンブル依存症のパパと、6人の子供達と暮らしてたら強くなきゃやっていけないよね!と自分の中で「泣けない自分」笑い飛ばすことにしました。

 

まだまだ始まったばかりの自助グループライフですが、2年目はどういう1年なるのかなぁと、これからの1年を楽しみにしたいと思います。

 

 

 

【近況】地元のギャンブル依存症本人のオープンスピーカーズミーティングからのアルコール依存症のミーティングに参加しました!②

引き続き、先日のオープンスピーカーズミーティングでのお話。

 

この日のオープンスピーカーズミーティングは、午前10時から午後3時までと、なかなかの長丁場な会だった。(そんなことも感じさせないくらいあっという間に終わってしまったけれど)

 

お昼の時間に、私が以前『ギャンブラーが繋がった元ギャンブラーさん』(リンクの貼り方がわかりません)というタイトルのブログを書いたときに登場した元ギャンブラーさんと、たまたまお会いすることが出来た。

 

その元ギャンブラーさんは現在の住まいは全く別の場所なので、まさかここでお会い出来るとは思っておらず、不思議なご縁を感じることが出来た。

 

パパに時間を割いてくれたことのお礼も伝えたかったので、会が終わったあとに、人見知りの私は、普段お世話になっている仲間にも同席してもらいロビーで少しお話させてもらう機会を得た。

 

最初は若干、探り探りな会話から始まり、数分後には「わかる!わかる!」と盛り上がってしまうくらい楽しい時間を過ごさせて頂いた。

 

ギャンブルを止めた後にポッカリ空いた穴を埋めるような人依存、恋愛依存の自身の経験を面白おかしく話したくれたので、失礼なことに爆笑してしまう。

 

一通り話をしていて気がついたことがあった。

 

元ギャンブラーさんは、ギャンブラー本人の自助グループにももちろん行っているが、ギャンブラーを持つ家族の自助グループにも足を運んでいる。

 

なんでかなぁ?と思っていたら、なんのことはないギャンブラーの元で育った経緯があるとのことだった。

 

なのでホームグループはギャンブラーの家族の自助グループなんだと言っていた。

 

そこでそれって、パパにも当てはまってる!

 

と急にピーンと来た。

 

パパは物心つくかつかないかの頃には両親が離婚しているのだが、義母から話を聞いていると、出て行った義父は、明らかに何らかの依存症を抱えてそうだし、離婚原因もお金絡み。

 

昨年、パパがギャンブル依存症だと診断された頃に、パパは初めて義母から義父のことや離婚の原因などを聞いたのだが、その時に「あんたは義父にそっくりなんだよね」と言われたらしい。

 

家族としての記憶の中にはいない義父。

 

そっくりと言われても、目の前にいない人のことを自分とそっくりと実感することは出来ない。

 

そんな経緯でパパも家族の自助グループに参加する条件が揃っていたことに気づいた。

 

もう1つは、色々と話をしている中で、いつもお世話になっている仲間に

 

『旦那さん愛しちゃってる系』

 

と言われたこと。

 

あまりの恥ずかしさから、咄嗟に否認しましたけどね!!

 

結局、話の間ずーっとそこは否認させてもらったけれど。

 

アレコレやってるのが恥ずかしくなった。

 

人様から見るとそう見えてるのかぁと思うと、今でも恥ずかしい。

 

そして話も終盤に、元ギャンブラーさんが

 

自助グループに繋がってそれで満足じゃなくて、行動することが大切」

 

みたいなお話をしていて、その通りだよなぁと感じた。

 

私は今、アレコレと物事の原因を探ることばかり考えてるけれど、結局『回復』するには理屈じゃなくて「行動」なんだよなぁと思った。

 

12ステップを始めたばかりだけれど「言いたくなること」や「コントロール欲求」が全然止められなくて、相変わらず人のことばっかり考えては口出して。。

 

本当ーにどうにもならないなと感じる。

 

『今日1日』

 

衝動を抑えて、自分のために頭と時間を使うことが私の回復の一歩なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

【近況】地元のギャンブル依存症本人のオープンスピーカーズミーティングからのアルコール依存症のミーティングに参加しました!①

4月8日に地元で開催されていた、ギャンブル依存症本人のオープンスピーカーズミーティングに参加して来ました!

 

もう沢山の刺激を受けすぎて、頭の中が散らかりまくってて収集がつかない。

 

お話を聞かせて下さった12人のスピーカーさんに本当に感謝の気持ちでいっぱいで、ギャンブル依存症本人の自助グループ巡りをしようかなと思うレベル。

 

私が元々単純思考で感受性が強すぎるところはもちろんあるけれど、それぞれのお話の中に、それぞれの感動や気づきがあった。

 

もちろん気づきの中には、喜ばしいことだけではなく、腹立たしい感情もあった。

 

でもその「腹立たしい」の感情を探ってみると、私はある女性ギャンブラーさんにモーレツな『嫉妬』をしていることに気がついた。

 

詳しい話は書くことが出来ないのだけれど、世の中には『旦那はATM』という言葉があるが、その言葉の極みのような生き方だった。

 

子供を産むことでさえも自分が「ATMを失わないための手段」みたいな。

 

本当に驚愕で!!

 

よくギャンブル依存症のお話での中で、ギャンブルをしてても苦しいと聞くけれど、その女性ギャンブラーさんからはそんな印象も受けなかった。

 

今まで好き勝手にやってきて、今も好き勝手やってます、これからも私を守ってくれる優しい旦那と私を見捨てない優しい子供達に囲まれて好き勝手やってきます。

 

みたいな雰囲気でお話されていて、本当に驚愕だった。(あくまで私が感じたことです)

 

大変失礼な話だけれど、容姿が良いわけでも、心が綺麗なわけでもなさそうで、側から見ると『女性としての魅力』を一切感じなかったのだが、それでも旦那に守られ、子供達に囲まれて幸せに生きていることに、私はモーレツなヤキモチを妬いていた。

 

『私は無条件で守ってもらえる存在』

 

ということが体中からにじみ出てるような。

 

無意識に新生児並みの思い込みを持ってるというか。

 

私はモーレツな嫉妬を感じたあとに、同じ女性でもそうやって生きている人がいることと、この日たまたま出会えたことに、心が動かされた。

 

めちゃくちゃ羨ましかった。

 

側から見たらどうであれ、その女性ギャンブラーさんは幸せなんだと思う。

 

何があっても誰かがどうにかしてくれる。

 

そしてそれはその方に取っては「当たり前」

 

私は自分で作った色んなしがらみにがんじがらめで、その殻は一生破れないんだと思う。

 

その『人生を生き抜く力』みたいなものが、本当に本当に羨ましい!と思った。

 

いつかその女性ギャンブラーさんのいる自助グループに参加してお近づきになりたいなぁなんて思っている。

 

今回のオープンスピーカーズミーティングの中で他にも沢山の気づきがあったので、また追い追い追加して行こうと思う。

 

 

 

 

 

パパのお金の囚われ歴史

先日、買い物・借金・浪費依存症の自助Gへ参加した時のこと。

 

夫婦だけれど、お互いあくまで一個人として参加していたのだが、分かち合いの中で今まで知らなかったパパのお金に対する囚われを聞くことが出来た。

 

パパの原家族のお話。

パパのお家は母子家庭だった。

義母と1歳違いの年子の妹とパパの3人家族。

 

義父とはパパの幼児期に離婚している。

 

離婚の原因は、度重なる不可解なお金の問題と、義母に対するストーカーまがいの行動だったらしい。

 

最終的に、身内からお金を騙し取っていたことが発覚したことが決め手となって離婚したとのこと。

(何かしらの依存症だったのではないかと思う)

 

その離婚の理由をパパは最近まで知らなかった。

 

幼い頃のパパは、家庭内で「どうしてお父さんがいないのか?」は聞いてはいけない雰囲気を感じていて、家庭内で『父親』という存在はないものとして扱われていると感じていたらしい。

 

父親が欲しい気持ちはずーっとあったけれど、そんなこと言ってはいけないと思い続けていたとのこと。

 

義母は仕事で忙しくて帰って来られない日もあったらしく、市内に住む祖父母の家に行っていたと話していた。

 

週末に家族でお出かけしたことも、旅行に行ったこともなかったと言っていた。

 

そして、子供ながらに

 

『うちは貧乏だ』

 

と、感じていたらしい。

 

小、中、高校生と学生生活の間は、サッカーやバスケ、バンドにアルバイトと休む暇なく夢中になっていた。

 

お小遣いがもらえず、小、中学生の頃は友達が自分のお小遣いで欲しいものを買っているのを羨ましく思っていたと話していた。

 

以前のブログにも、高校生になってアルバイトを頑張って月に12万円稼ぎ、自分のお小遣いとして全て使っていた話は書いていたのだが、その時の気持ちを

 

『ライブを一緒にやっている、何組かのバンドのメンバー全員にご飯を奢ったり、会場にかかる費用を自分が出すことが、すごく気分が良かった』

 

と、言っていた。

 

その後、高校を卒業して憧れの競馬関係の仕事に就き今に至る訳だが、仕事を始めてから先輩達の影響で、それまで全く興味のなかったパチンコ屋に日常的に出入りするようになる。

 

最初は大負けしたらしい。

 

そこで悔しくて、パチンコやスロットについて勉強して勝てるようになっていき、1年で140万の貯金?を作る。

 

そして入社して1年半位の時に、私と出会って今度は"恋愛依存"を発症して、パチンコやスロットはピッタリと辞めて、ご飯を奢ったり、遊びに行くことに、給料以上のお金を使っていたらしい。

 

(私は何も知らずに、若いのに給料が良い人なんだと思っていた)

 

そして、どんどんそのパチンコやスロットで作ったお金も減っていき、結婚して家を借りるとなった頃にちょうど底をついたと言っていた。

 

その後は私も知っている通り。

 

何事も正直に話せないパパは、確かに結婚直前様子がおかしかった。

 

出会ってから10年経った今感じるのは、消費者金融から借金をしている時のような表情をあの時もしていたなぁと思う。

 

でもその頃は、パパが見栄っ張りなことも、自分の気持ちを言えない人だと言うこともまだ私もわかっていなかった。

 

(よく喋るし、明るいし、バカがつくくらい正直者に見えるので)

 

結婚して、お給料を預かってみてビックリした私は長女を出産後2ヶ月で、家計を立て直すために仕事復帰をしたのだが、

 

ちょうどその頃からパパの使い込みが始まり、長男の入園費用18万は「路上でスリにあった」と言われて不可解に消えていった。

 

そのことを発端にして、その後は延々とあらゆる手段でお金を手に入れては、ギャンブル、買い物、浪費を繰り返して借金を膨らませていった。

 

やはり『お金を使う瞬間』は、ドーパミンが出るような感覚になるらしい。

 

その後、そのお金を取り戻そうとしてするギャンブルは全然楽しくないとのこと。

 

でもお金を取り戻す手段はギャンブルしかないとの発想になる様子。

 

とにかく聞いていたら、日々の生活、人生でのお金の囚われが本当に強いんだなぁと感じる。

 

最近も車購入を機に「節約しよう!」とか言っていたけれど、パパの場合はその気持ちが囚われになってどんどん自分を追い詰めているように思う。

 

今までは「節約しよう!」の言葉が出たら

 

『あぁ、パパは家計のこと考えてくれてるんだな。私も頑張ろう!』

 

とか考えていたが、最近はそのパパの発言が強迫的に思えて心配になる。

 

自分で言ったことや、決めたことで自分を追い詰めてしまうところがあるから。

 

私は「やる!」と決めたら『やる!』の単純思考で、そこが私とパパの全く違うところ。

 

どこか自分の考え=パパも一緒の考えと捉えていたことが、今までパパが強迫的に囚われてしまうということにがつかなかった要因だと感じた。

 

つい自分の考えと人の考えを一緒にしてしまうのが私の至らない点だと思う。

 

私の場合「やるぞー!頑張ろー!」と、言葉と行動が連動していくところ、パパは「やるぞー!やるぞー!」と、人一倍言いながらもどんどん囚われのドツボに嵌っていく感じ。

 

少しずつでもパパが自分の囚われの原因を探っていけたら良いなぁと思いながら、この人はまだまだ底つきはしないんだろうなぁと思って見ている。

 

 

 

 

【近況】バタバタの春休みですが自助Gに無事に行けました!

幸せなことに?ここ1週間、ギャンブラーのパパのことを考える暇もないくらいバタバタと日々を過ごしていた。

 

ここ1週間、スポンサーさんとの分かち合い、共依存の自助G、今日はギャンブル依存症の家族の自助Gに参加して、日々アレコレ詰まっている予定をこなす時間と、自分自身を振り返る時間がイイ感じに同時進行している。

 

今日はいつも適切なアドバイスを下さる仲間が、私がちょうど読みたいなぁと思っていた雑誌の、田中紀子さんがギャン妻へ向けて書いたコラム(全3回)をプレゼントして下さった。

 

私がぼんやりと「読みたいなぁ」と思っていたコラムで、今はバックナンバーでしか購入出来ないものだったので、その偶然の出来事にとても驚いたし、すごく嬉しかった。

 

私は昨年、自助Gに繋がってから焦るくらい夢中で『回復』を望んで来たのだが、産前産後のパパの盛大なスリップでゴタゴタしてなんだか疲れてしまって、今やっと少し肩の力が抜けて来た感じがしているのだが、ここに来てこの嬉しいサプライズが。

 

『今必要だと思ったから』

 

と、手渡してくれた気持ちが本当にありがたくて嬉しい。

 

分かち合いだけでなく、こうして仲間の思いやりに触れられることも自助Gに繋がれて本当に良かったと思える瞬間。

 

ブログでも度々書いているが、今私には普段使える車がないので、産後のダイエットがてら徒歩+公共機関で自助Gに向かっていて、会場まで片道1時間半かかるので、仲間に頂いた雑誌のコラムを帰りのバスの中で早速読んだ。

 

経済的な面でのギャン妻の具体的な心構えやアドバイスが書いてあるコラムなのだが、私は「回復したい回復したい」と言いながら、この10ヶ月何をして来たんだろう?とまた思い知らされる内容だった。

 

気持ちを立て直すことばかり考えていて、具体的に金銭面で自分と子供達を守る行動は30%位しか出来ていなかった。

 

もっと守るものもやることもあったんだと、また今日も目からウロコが落ちる気持ちになる。

 

今すぐ「逃げて離婚したい!」訳ではない私なので、余計に何があってもドーンと構えて居られる知識は必要なんだなぁと感じた。

 

そして今日も自助Gに参加して、本当に良かったなぁと思った。

 

コラムを手渡してくれた仲間に、感謝の気持ちでいっぱいになった。(単純)

 

話は少し逸れて。。

うちのギャンブラー(パパ)は最近、とても開き直っている。

 

昨夜、お風呂に入って居た時に「俺、その気になったら100万なんて1週間くらいで余裕で使えるんだろうなぁ(もちろん消費者金融から借り入れたお金)」なんて言っていた。

 

もー、聞いていてギョッとしたが、きっとこれが本来のパパであって『素』の発言なんだろうなぁと理解した。

 

今日の自助Gでも仲間から「素直になってるんじゃない?」なんて言われて、確かにある意味「素直」な姿なんだろうなと思い、なんだか笑えた。

 

年収の1.8倍も借金があって、住宅ローンもあって、これからカーローンも始まるって言うのに、まだ大金を使う想定が出来るなんて私からしたら発想がクレイジー過ぎてもう笑うしか出来ない。

 

パパの度重なる借金や使い込みで、1度に動く金額が大きくて、本当に私の金銭の単位の感覚もおかしくなっている気がする。

 

ギャンブル依存症の家族の自助Gでも、共依存の自助Gでも、側から見たらパパを始め私も行くところまで行っている(らしい)のに、渦中にいるせいで、もう何だかよく分からないことになっているのが現状。

 

そしてこの1週間はパパのことに気を揉む暇もなく、子供達と春休みを満喫していたのだが、今回の春休みは私に車がないので、2班に分けて市内の映画館に行って来た。

 

子供の人数が多いので、観たい映画も意見が分かれる。

 

パパに赤ちゃんを預けて「ボス・ベイビー」班と「リメンバーミー」班に分かれて、2日がかりで引率して来たのだが、

 

ちょっと前まで末っ子だった3歳の3男も、ちゃんとみんなと一緒に座って、ポップコーンを食べて、ジュースを飲んで映画鑑賞出来ることに感動した。

 

いつもは車があるので長期休みは遠くにお出かけすることを考えてしまっていたり、この12年私がずーっと妊婦だったり赤ちゃん連れだったりして、

 

映画は好きでも映画館に出向くというよりは、レンタルまで待って家で見るのが当たり前になっていたので、今回は新鮮な春休みの想い出が出来た。

 

それに映画館に大家族で行くのは高額なレジャーな気がしてしまっていたのもある。

 

でもギャンブラーの使い込みに比べたら映画館代なんて"なんてことはない金額"だし、こんなに子供達のテンションが上がるならまた行きたいなぁと思った。

 

そして今回観た「ボス・ベイビー」も「リメンバーミー」もどちらも家族をテーマにしている映画だったので、改めて『家族っていいなぁ』と思うキッカケになった。

 

クレイジーなパパと今後どうなっていくのか全くわからない我が家だけれど、

 

『家族だからこそ感じられる幸せ』

 

も、やっぱりあるよなぁと思った春休みでした。

 

 

 

 

 

 

 

【近況】新境地の自助Gへ参加して来ました!

1ヶ月ほど前の出産の入院中に、スリップの気まずさからすっかりギャンブラー本人の自助グループから足が遠くなってしまったパパのことが気になって、色々と自助グループを調べていて、(この行為自体がガッツリと共依存)

 

『買い物・借金・浪費依存症』

 

自助グループが地元にもあることを知った。

 

月1回の開催で、2月の開催日は出産と被っていたので、3月の開催日にはぜひ足を運んでみよう!と心に決めていた。

 

パパのことを。。と思って調べ始めたのだが、パパが行こうが行く気がなかろうが、強迫的な買い物・借金・浪費に対して無知なので、何か参考になるお話が聞けるかも知れないと思い、私だけでも参加してみようと思っていた。

 

ちょうど開催日の前日にタイミング良く?私がパパのしつこいスリップに腹を立てて凶器と化していたことから、すっかりご機嫌取りに徹していたパパが「一緒に行ってみよう♡」と言ってきた。

 

さも、私が依存症で、パパは自分が調べてあげて一緒について行ってあげる風な言い方だったのだが、そこはいつものことなのでスルーして、別々で会場に向かって参加することに。

 

4人中、司会をしてくれた方以外は私を含め3人とも初めての参加だった。

 

会はギャンブル依存症自助グループと同じ流れで進行したので、初めて来た場所なのに妙に心地良さを感じた。

 

いざ分かち合いが始まると、パパ以外からはギャンブルのギャの字も出てこない空間。

 

私は自分自身ギャンブル経験がほぼないのに、パパがギャンブル依存症と分かった日から、家でも自助グループでも毎日のように口にして来た「ギャンブル」という言葉。

 

それが一切出てこない!

 

まさに新境地の会だったのだが、やはり依存対象は違えど語られる内容は似ていて、借金や債務整理や横領、留置所へいた話、精神科への入院体験など依存症という病気の病状が次々と語られた。

 

その中でも沢山の気づきがあり、ある方が「子供の頃からの親の過干渉が買い物依存症の原因」という話をしていた時に、まさに私とパパの今の関係を見ているようでハッとした。

 

パパの依存行為を疑っている段階から、私はパパの行動や持ち物をチェックしたくなる。

 

それが共依存で私の病的な部分だと認め始めていたのだが、その行為自体が相手にものすごいストレスを与えていることに、恥ずかしいことに全く気がついていなかった。

 

むしろ借金額や病気の進行を早く食い止めることで結果として良いことをしている位に思っていた節がある。

 

帰り道に私が過干渉の話が心に残ったと話していたら、パパは負い目があるから私のその行為にも応じていたが「いつ見られているかわからない恐怖」みたいなものはあったと話していた。

 

私はいつ起こるのか分からないパパのスリップに恐怖を覚え、パパは私のいつ始まるのか分からない過干渉な行動に恐怖を感じていたのだ。

 

冷静に自分に置き換えたらパパ側の気持ちもわかったはずなのに、狂気の中にいるとそんなことは全く頭になくなってしまう。

 

病気が進行してパパが人格障害みたいになるのが本当に嫌で、そうなるとそこにプラス金銭的な爆弾もついてくるので、必死に先回りして食い止めようとしていた行為が、そんな最低なことだったとは。。と驚いた。

 

そんなことしても止められるものじゃないのも、大分わかってきたはずなのに、パパがスリップしたら私ももれなくスリップする。

 

そんな大きな気づきが1つあり、あとはパパが分かち合いで幼い頃から今に至るまでのお金に対する囚われの話をしていたのだが、初めて知ることも幾つかあり、良い意味で目からウロコだった。

 

これについては別枠でブログの記事にしたいレベルなので、また後日にします。

 

最後に金銭的な計画の話や、買い物は生活と密接な行為なので買い物依存症者の『完全な回復』は難しいという話を教えてもらった。

 

金銭的な計画の話を聞いている時に、これまでパパの借金で何度となく数十万、数百万単位でお金が流れていたことで、自分自身の金銭感覚もすっかりズレていることにも気がつけたことが良かった。

 

金銭管理も含めて、自分は自分で1からやり直そうという気持ちになれた。

 

依存症って奥深くて面白い。

今日のママは尖がったナイフです

結局、今日はパパに対して1日中

 

「FU○K YOU⚠️K○LL YOU⚠️」

 

と、鋭利に尖がったナイフの精神で過ごした。

 

自助Gで学んだ平穏さは何処へ行った?という感じ。

 

あまりにエネルギーに満ち溢れていて、この自分から溢れるエネルギーを別のことに活かせばいいのにって本気で思った。

 

‪今日は余りにも尖りすぎて「共依存のエネルギー舐めんなよ(言葉が悪くてごめんなさい)‬」と、謎の敵対心まで芽生える始末。。

 

感情が迷子になり過ぎた末に、おかしくなってしまったらしい。

 

話は少し変わって。。

 

学生の頃、アート系の学校だったせいもあるのか風変わりなメンタルを持っている友達が多くて、事あるごとに「ポジティブに!」とか「前向きに!」とか言っていたのを見ていて、よく

 

『この人達、どっちが前なのか分かってるのか?』

 

と思っていたのだが、今まさに自分がそんな状況にいる気がする。

 

「回復を!」と自分に言い聞かせている割に、自分がどこに向かおうとしているのか全く分かっていない感じ。

 

今日はこのモーレツに尖がった気持ちを収める術もない。

 

お互いが回復して穏やかな生活を送ることが目標なはずなのに、今目の前に広がっているのはもう全ての手を尽くした感と、離婚や別居を含めこれから自分が色んな面でどこに境界線を引くのか。

 

上手く心だけ切り離して、上手に付き合っていけばいいのに、それが簡単に出来ないのが私の病的な部分だよなぁと思う。

 

これも20数年振り回されてきたAC(アダルトチルドレン)を思いがけず克服した時のように、予想外のところでハッと目が覚めたりするのかなぁ。

 

散々アレコレ考えたり悩んだり苦しんだりするのに、物事が解決する時ってちょっとしたキッカケで、しかも一瞬で今までの考えが覆ったりするのが人生の不思議。

 

自助Gでよく言われる「無力であると認めて委ねる」タイミングに来ているのだろうか。

 

いや、「無力である」はこの9ヶ月間何度も何度も味わったはずなのになぁ。

 

ギャンブラーも懲りずにスリップしているが、私も懲りずに同じところを堂々巡りしてるなと感じた。

 

やはりギャンブラーとの共通点の子育てや生活に必要ない部分は気持ちを切り離して、自分は自分で静かな時間を持つことは大切。

 

と言いつつ、この記事もオールギャンブラーとの話題。

 

回復したい→共依存から抜けられない→回復するぞ!→また共依存に戻ってるの延々ループで結局1人で勝手に苦しい。