パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

もはやスリップでも何でもない実情

先日の出所不明の2000円の謎が解けた。

 

私の入院中に消費者金融から借り入れしていたお金を、競馬をやっている後輩に数万円預けていたものを返金してもらったものの一部だと言う。

 

要は「消費者金融のお金の残骸」

 

しかもそれをまたゲーム課金に使ったらしい。

 

半月も持たずスリップというか、結局自分の依存の対象を絶って依存行為を止めたことは一度もないってことだ。

 

万単位でのゲーム課金、十万単位の競馬。。

 

本当に金銭感覚が狂ってる。

 

 

更にここ3ヶ月くらいの間、私が普段スーパーなどで使っている家計費の電子マネーがやたらとオートチャージされていることにも気づいた。

 

利用履歴を確認してみると、かなりの額をパパの個人的な買い物に使われていた。

 

 

更に更に、車から「ゲームカード」とやらも出てくる。

 

これはパチンコ屋さんで使えるカードらしい。

 

このカードの使い道とか詳細は、まだハッキリしないけれど「終わってるな」と思った。

 

やってること、なーんにも変わらない。

 

結局、10年くらいの間「もうしない詐欺」に遭い続け、病気とわかってからの9ヶ月「回復する詐欺」に遭っていただけだった。

 

丁度、昨日のブログで頑張りすぎてたかもしれないことや、少し疲れたなぁと思っていることを書いていたが、なんか本当に疲れた。

 

今までに比べたら出来事自体は小さなことだけれど、これを良い方向と取るか?もう無駄だと取るか?今はわからない。

 

ギャンブル依存症の病気のことを知っていくにつれて、今まで騙されていても気づかずにいた、嘘や隠し事や偽りも見抜ける力がついたことで、自分のしんどさも増しているように思う。

 

ほんとこんな暗い内容ばかりにしたくないのに。

 

悔しい!悲しい!ムカつく!消えてほしい!

 

感情が迷子でよく分からないけれど、叫びたい気持ちでいっぱいだ。

 

日常生活には小さいけれど楽しいことも明るい話題も沢山あるのに、しつこく迫ってくるギャンブル依存症という病気を目の前にしたら悪感情しか湧いてこない。

 

これがごくたまーに起こって、それも少額とかなら全然スルー出来るのに。

 

頻繁な上に、その都度バカみたいな金額を無駄にされるのが本当に無理だし、あまりにしつこいから本当に勘弁して欲しい。

 

先日の自助Gの読み合わせで「愛してるのか?しがみつきなのか?」というフレーズがあったが、今の私には全然わからない。

 

しつこい人、嫌い。

 

愛してるから一緒にいると思ってたのに。

 

結婚する前からお互いに子供は沢山欲しいね!って話をしていて、その言葉には当然「家族を大切にする」って項目も含まれてると思ってたのに。

 

ギャンブル依存症は脳の病気』

 

って分かって

 

「家族を大切に思ってなかったんじゃなく、脳の病気なんだ」

 

って理解しようと頑張ってるけれど、病気とわかっても回復に向き合えないパパと過ごしていくのはやっぱり残酷じゃない??

 

病気とわかって自助Gに繋がってからも、どんどん進行していくよ?

 

パパはこの9ヶ月回復に向けて過ごしてたんじゃないの??

 

なんか色々と何だったの?感が凄い。。

 

勇気が欲しい!今、私は勇気が欲しい!

 

どこに向かっていきたいのか全くわかってないけれど。。勇気が欲しい。

 

子沢山で産後まもなくギャンブル依存症の旦那と離婚した、先行く仲間がいたら是非コメント頂きたいですm(_ _)m

 

【近況】産後初の自助Gへ行ってきました!

1ヶ月検診が無事に終わり、母子ともに経過が良好だったので、早速検診の翌日にいつも私が足を運んでいる自助Gへ行ってきた。

 

丁度、1ヶ月ぶりの自助Gだったけれど、変わらず仲間が受け入れてくれたことにホッと安心出来るような気持ちになり、旦那のスリップのこともあったので「今回は泣いちゃうかなぁ」と思ったのだけれど、泣くこともなく分かち合いが終わった。

 

悲しい気持ちや苦しい気持ちを下ろしているはずなのに、自分のことになると本当に人前で泣けないのが私の性分みたい。

 

退院後に再スリップが発覚してから20日くらい経っているから、少し落ち着いているせいもあるのかな?とも思ったのだが、それよりも

 

「また感情に蓋をし始めてるのかもしれない」

 

と思った。

 

私は「耐えられないよー」と思うような出来事があると、どんどん心が"鉄"のように固くなっていく傾向があるのだが、

 

昨年パパがギャンブル依存症と診断を受ける前はピークに心が"鉄"になっていたのが、自助Gに繋がって色んなことを分かち合いしたり、知っていく過程で少しずつ心がほぐれていって『泣ける』ようになって来ていた。

 

でもここに来て、出産1週間前、入院中、退院翌日に巻き起こったパパの盛大なスリップの件で、またすっかり心が"鉄"になってるように感じた。

 

結局、自助Gに足を運んでいてもパパの依存症の問題に対して無力であり、解決策がある訳ではないのだけれど、

 

「自分が心を開いてホッと出来る仲間に受け入れてもらえること」

 

「人様に言えない問題を分かち合ってもらえる時間」

 

「自分が(問題に対して)正直になれる空間」

 

これらは本当に大切だなぁと感じる。

 

私みたいに自助Gの会場が遠い田舎暮らしには、オンラインのMTGも重要なんだけれど、やっぱり生身の人間と分かち合える空間はいいなぁと思った。

 

"鉄"の心はまだ溶けそうにないけれど、自助Gに繋がれてるおかけで"落ち着き"は保てているように思う。

 

そして自助Gに繋がって9ヶ月が経った今でも、まだ自分が心のどこかで『ギャンブル依存症の特効薬』を探していることに気がついた。

 

パパを見て「止まって欲しい」とか「怯えない暮らしがしたい」と思う気持ちが無くなる日は来るんだろうか?

 

そして自分は自助Gに繋がってから「回復したい」「精神的にも生活的にもまともでありたい」という思いがずーっとあったけれど、その思いが強すぎて少し頑張り過ぎていたようにも思う。

 

パパのギャンブル依存症についても、自分の共依存症についても考えるのを少しやめて、小休止するのもありなのかも。

 

 

 

出処不明の2000円

卒園式の日に、パパの財布に出処不明の2000円が入っていたらしい。

 

突如、私に

 

「ママ、俺の財布に2000円入れた?」

 

と、言われた。

 

入れるわけないよね。

 

最近は1回につき1000円ずつしか渡してなかったし、3月初めにスリップがわかった時に自分から『現金じゃなく電子マネーで』って言ってたので、11日の謝恩会の日以外現金は一切渡していない。

 

どうせ消費者金融から借りてた時のお金でも余ってたんだろうと思い、スルーしようとしたら

 

「ママが俺のことを試すために入れたんだと思った。」

 

と、言い出した。

 

はい?

そんな面倒臭いことしませんけど?

 

パパを試すために、コッソリ財布にお金を入れてそれをパパが使い切った頃に私が「2000円知らない?」と、カマをかけてくるという妄想を繰り広げていたらしい。

 

病気ですよね。

 

今スリップしてないはずなんだけどなー。

 

自分でも今は何もない!とか言い張ってるのに、嘘と妄想は辞められないのかしら。

 

また巧妙に人に擦りつけて来たよ!と思って、その説明のつかないお金についての説明を求めたら、しばらくアレコレ考えた末に

 

「最近ずーっと住宅ローンのこと考えてたから、元々財布にいくら入ってたかの記憶がない」

 

とのことでした。

 

そもそも11日の謝恩会以外で現金は持ってないし、その時に余ったお金は返してもらってるので、元々財布には0円のはずなんですけど?

 

2000円どうこうよりも、最近は

 

『何かにつけて巧妙に人のせいにしてくる』

 

ことが目につくし、面倒に感じる。

 

正直、相手がギャンブル依存症者じゃなければ、出処不明の2000円なんて気にもならないことなのになぁ。

 

1つ1つ面倒臭くて、人生でやらなくていいような遠回りばかりしているように感じる。

 

共依存を知った時に読んだ本に、こういう人は

 

「あの手のこの手を使って上手く相手からのケアを引き出そうとする」

 

ということが書いてあったのだが、まさにそういうことなんだろうなぁと思った。

 

それに気づかず、今までは盲目的に献身的にやってきたけれど「面倒臭いな」と感じ始めることで、少しずつ心の距離や境界線が出来てきているのかもしれない。

 

嫌いになったとか、別れたいとかじゃなくても心の距離とか境界線を引けるようになることは大切なんじゃないかと思う。

 

【近況】次女の卒園式で恨み再発!?

昨日は次女の卒園式でした。

 

パパは普段から女子力強めで外でしっかり者の長女よりも、芸人キャラでちょっと問題多めの次女の方がウマが合うらしく思い入れが強いのだが、卒園式への思い入れも長女の時とは違う様子だった。

 

今の時点で消費者金融への借り入れの見通しもついて、今月入ってからは借金も止まっているので、最近は気持ちに余裕があるのか穏やかで自然な明るさとか笑顔が多いパパ。

 

そんな状態で迎えた卒園式。

 

次女は、幼稚園でワガママ放題で本当に先生達に手を焼かせていたのだが、良い先生達に出会えたことと、本人の芸人風なキャラクターもあって、厄介者扱いされることもなく受け入れてもらっていたことに、親の私達はいつも深く感謝していた。

 

長男、長女の時と違い、私も次女の卒園は感慨深いものがあったのだが、今回は4歳と3歳の年子男子(次男・三男)と生まれたての三女を連れての出席で、私は子供達と参列していたので、結局全然涙を流す暇がなかった。

 

そしてふと、三女のミルクを取ってもらおうとビデオ撮りをしていたパパを見てみたら。。

 

 

めっちゃ泣いてる!!笑

 

 

予想以上に泣いてる!!笑

 

 

 

いいんですよ、泣いていいんです。

 

子供の成長を心から感じて流す涙は素敵です。

 

私もチビ達の相手で泣く暇はなかったけれど、心の中ではもちろん感動して泣いてました。

 

「赤ちゃんだった次女がこんなに大きくなったんだなぁ。早いなぁ。。」

 

なんて、心の中でしみじみ子供の成長を振り返っていました。

 

その時、ふと次女が赤ちゃんだった時。。

というか生まれる直前。。

 

 

『この人、長男、長女の通帳から大金引き出してギャンブルしたり遊び歩いてたじゃん!!』

 

と、思い出しました。

 

 

しかもそのバレバレの嘘を否認しまくって、6年近く突き通して、やっと白状したのなんてここ1年くらいのこと。

 

一気に恨みの気持ちが湧いて来ますよね。

 

ただ、以前と違うのは恨みや怒りの気持ちに飲み込まれなくなったこと。

 

でもまだまだ「忘れる」とか「許す」なんて出来てないんだなぁと感じた瞬間でした。

 

その後、全体のお楽しみ会も産後の私は参加出来ないので、パパにお願いし、パパは次女と大変楽しい時間を過ごせたようでした。

 

帰りに年少、年中と大変お世話になった先生にご挨拶した時に更に涙腺が崩壊したらしく、みんながいる玄関でパパは大号泣したらしいです。

 

いいんですよ、泣いて。

 

でもまだ我が家は、あと3人この幼稚園に通うんです。

 

次女の卒園はやっと折り返し地点なんです。

 

先生にも「まだ下の子達もいるから!これで最後じゃないんですよー」と言われたと。

 

その通り!!笑

 

いや、ほんとにいいんですよ、泣いても。

 

 

更にその後に車の契約に向かい、あれよあれよと言う間に車が決まりました。

 

 

大きな買い物です。

 

 

私は車にこだわりがないので、全然わからなかったのですが、同級生のディーラーさんが

 

「男の人はこういうことが働く励みになったりするものだから」

 

と言っていて、目からウロコが落ちる気持ちでした。

 

 

契約が終わってからパパが今までを振り返ったと言うより、今回のスリップを振り返ってしみじみと

 

「本当にバカなことをしたと思う。」

 

「頑張るね」

 

と、自発的に言っていた。

 

いいんですよ、その心構え。

 

でもそれ三女が生まれた時に言って欲しかった。

 

むしろ今まで何度となくあった子供が生まれる時に言って欲しかった。

 

しかもこの3ヶ月のスリップのみについてじゃなく、長ーい借金人生そのものを反省して欲しかった。

 

正直、年収の1.8倍もの借金があるのに、年収ほどの新車を購入するなんて、正気の沙汰じゃないよねと思うし、堅実に考えてしまう私には絶対に出来ない決断。

 

けれど車1つで、男の人ってこんな気持ちになるんだなぁと新たな発見があった。

 

これ以上、仕事に精を出さなくていいから、スリップしないよう息を抜く方法を学んでねと思ったが、今は口に出すのはやめておいた。

 

私は今まで金銭面以外でも様々な面で「ダメなパパ」の尻拭いをして、優位に立ちたいわけじゃないのに、結局優位に立つことで『男のプライド』的なものをズタズタにして来たのかもしれない。

 

私自身もあまりに傷つきすぎていて『ギャンブル依存症者は人間じゃない』くらいに思っていた時期もあったけれど、

 

ギャンブル依存症者だって人間だし、なんなら普通に生きていたら、しなくていいような余計なこと(嘘をつくとか借金とか)に、勝手に振り回されて必死に生きてるんだよなぁなんてしみじみと思った。

 

共依存症者が「他人に執着したり、勝手に傷ついてる時間」が無駄なように、ギャンブル依存症が「ギャンブルやお金、嘘に執着して、勝手に振り回されてる時間」も本当に無駄だと思う。

 

私も「パパのことを考える時間」が無駄だとわかっているのに止められないあたりが、病的だし正気じゃないんだろうな。

 

パパは借金や嘘にまみれている最中は、自分でも自分の中に2人いる感覚になると言っていたが、私から見ても人格障害なんじゃないかと思うくらいパパは変になるので、次女の卒園式に正気で参加することが出来て本当に良かったと思う。

 

お互い病的な部分を改められたら、もっと楽に生きていけるんだろうな。

 

そしてパパの「バカなことをした」「頑張る」のセリフは深く捉えないことにしたとして、卒園式で見せた涙は、本来のパパの姿だと受け止めようと思った。

 

恨むならパパではなく、ギャンブル依存症の症状だな。

 

(発達障害ぽい症状にもかなり振り回されて困ってるけれど)

 

また借りられるカラダにしてしまうとは?

2月初旬に参加したIRセミナーで、田中紀子さんがお話されていた中で、

 

アルコール依存症は体調を崩しても病院で治療して、また飲めるカラダにしてしまう」

 

ということを言っていた。

 

ギャンブル依存症の場合は、周りが知らずと尻拭いをしてしまい、また本人が『借りれるカラダ』を作ってしまうことが、回復を妨げて病気を進行させてしまうという。

 

これについては、何度も何度も経験しているので今回の盛大なスリップでも痛く身に染みた。

 

けれども一般的な人と同じように働き、社会的な信用も保たれている人間が『借りられないカラダ』を作る方が難しい。

 

本人が「もう貸さないで!」と手続きすることは可能だが、病気真っ最中の時は、ギャンブルのために後先なんて全く考えずに何としてでもお金を手に入れようとするので、

 

例え消費者金融や銀行、カード会社から借りられなかったら、迷わず闇金は走るか、横領、窃盗などの犯罪を犯しがち。

 

みんながみんなそうではないけれど、パパの場合は「闇金へ行く」と自分で言っていたから間違いなく行くだろう。

 

現に、2017.5月に発覚した340万の写真の時に、消費者金融からの借り入れがこれ以上出来ないと分かった時、必死に闇金を調べていたと言っていた。

 

ほんとギリギリのところで私が嗅ぎつけ、救われるのがパパのパターン。

 

↑これが決して良いことと思ってはいないが、何故だか毎度毎度ギリギリのところで、問題が明るみになる。

 

今回たった3ヶ月の間にスリップして作った111万も、またなんとなーくその場を凌げそうな流れが出来てきた。

 

THE ローンの一本化である。

(厳密には金融機関を一本化するだけ)

 

黙って消費者金融に月32000円を4年間払い続ける気持ちはないらしい。

 

住宅ローン、車のローン、消費者金融の借り入れを1つの金融機関に集約することで、それぞれの金利が低くなるとのこと。

 

でもパッと見金利が下がったように見えて、ローン期間自体が長くなるので、結果として払う金額が増えることは当然頭にないらしい。

 

そしてパパは個人的に年収の1.8倍ほどの借金があるのに、新車の大きな車を購入しようとしてる!!

 

もうクレイジー過ぎてまたしても笑えてしまった。

 

お昼休みに、掛け合っていた金融機関から住宅ローン、車のローン、フリーローン全てOKが出た!と浮かれた喜びの電話が来た。

 

今まで私が無理のない範囲で住宅ローンを組み、クレジットカードの支払いも滞らずに払い、車も一括で購入し続けたんだもの、そりゃあ通るだろうさ。

 

(住宅ローン以外のローンは組まない!余裕のある生活をする!が私の個人的な信念なので)

 

パパの消費者金融の借り入れ歴以外に黒歴史はない。

 

むしろ消費者金融も大きな延滞なく、何度となく完済しているので、黒歴史どころか上客もいいところ。

 

『借りられないカラダ』どころか、

 

『めちゃくちゃ借りられるカラダ』

 

なのが、現在のパパの姿なのだ。

 

なんかまた一気に消費者金融と縁を切れて、パパが気持ち的に晴れ晴れとしてしまうのってどうなんだろう?

 

普通なら

 

「よし!心を改めて1から頑張ろう!」

 

と思って再起を図るし、私なら間違いなくそうするけれど、

 

ギャンブル依存症のパパの場合、何度となくこういう場面になって

 

「1から頑張る!もうしない!」

 

と自分自身に誓っても、結局何度でも同じこと繰り返すからなー。

 

正直、この言葉に何の期待もしていない。

 

今回は周りが尻拭いして『また借りられるカラダ』にした訳ではなく、自分で策を練って『また借りられるカラダ』にしちゃってるんだから、もうどうしようもないよね。

 

個人的にはパパの問題がなければ、子供達みんなを乗せて+荷物も乗せれる大きな車は嬉しいし、休日にみんなでキャンプに出かけたり、ドライブしたり、家族の幸せの象徴のようなイメージすらある。

 

でもギャンブル依存症者の妻である以上、手放しで喜べない。それが現実。

 

 

【近況】お風呂に入る?入らない?まで『逃避型』

昨夜の話。

今やすっかり車購入に夢中のパパ。

 

ずーーーーーっと車とローンについて調べている。

(コツコツ貯金して購入しようとか、頭金貯めようなんて頭はないらしい)

 

時間を忘れて集中する姿は、ただの集中力というのか、囚われなのか、執着なのかはわからない。

 

とにかくスゴイ!と思うし、発達障害が絡んだ症状なんだろうなぁと思って見ていた。

 

囚われがいい方に向いてる時は、全然いいななんて思っていた。

 

そしてご飯もそこそこ、お風呂も入らず集中していたパパが、いつもより大幅に寝る時間が遅くなり一言

 

パ「あー、ヤバい寝る時間かなり過ぎちゃった。お風呂にも入ってない。」

 

この後が衝撃!!

 

パ『やっぱりママがお風呂入らないと、俺も入らないんだなぁ。』

 

はぁ??

 

って感じですよね。

これは速攻でツッコミましたが、昨夜に関してはお風呂を忘れて車に夢中になってたのはパパの個人的なこと。

 

私がお風呂に入らないで!とか言ったわけじゃない。

 

この「ママが入らないと〜」と言うのには理由があり、私は普段毎日湯船に浸かるタイプで、ここ数年はパパも一緒に湯船に浸かって、話をしたり、お互い携帯を見たりする時間が自然と出来上がっていたのだが、

 

今は私が産後間もないので、産後1ヶ月をすぎるまでは、感染症を防ぐためにシャワーのみの日々が続いている。

 

「ママが入らないと〜」にはこういう理由を含めたつもりなんだろうけれど、普段何も夢中になることがない時は、パパは私の存在なんて関係なく自分のペースでお風呂に入る。

 

要は『お風呂に入らなかった自分を正当化するための理由』をまたしても巧妙に私のせいにしたというわけ。

 

『逃避型』のギャンブル依存症者だと自覚し始めているパパ。

こういう日常的な小さいことも含めて、全て選択の1つ1つが「逃げ」で構成されてるんだなと、私の方がどんどん気付くようになった。

 

とにかく何かにつけて、自分以外の人、もの、ことのせいにして生きている。

 

これもパパの嘘と一緒で、空気を吸うように何かのせいにしているので、本人に自覚はないらしい。

 

今までは「ママが入らないと〜」と言われたら、それを素直に言葉通りに受け止めて「そっかぁ、私が入らないからか」と何だかいけないような気持ちになっていたが、巧妙に私のせいにされていることに気がついてからは

 

『イヤ、それ違うよね!』

 

と、わかるようになって来た。

 

ちょっとの違いだけれど、気づけるようになって本当に良かったと思う。

 

パパは無意識に私を騙して何でも擦りつけ、私は無意識にそれを受け入れ続けていた、不健康な関係性が見えてくる。

 

そしてパパは「自分の行動は日々自分自身で選択している」ことがわからないらしいのと、普段から自分の意見がほとんどなく「人の意見を自分の意見と勘違いしている」節がある。

 

しかも自分に都合の良いところだけを掻い摘んで自分の意見として取り入れる。

 

ここ数日はもっぱら先日お会いした元ギャンブラーさんが言っていた中で「自分に都合のいい言葉」を自分意見のように取り入れている。

 

回復までの道のりは長いのか、回復しないのか先が見えない不安にどうしても襲われてしまう。

 

自分の人生に責任を持てないうちは、この人は変わらないんだろうなぁと感じる。

 

でも今目の前にないことは考えても仕方ない!と思って気持ちを切り替えていこう。

私と嘘の親密な関係

実は私、小さい頃から嘘ととっても親密な関係を築いていたんです。

 

嘘が大っっっっっ嫌いなのに!!

 

というのも、心の中でパパに「人生、8割ウソじゃねーか!」とツッコんだ時に気がついたんです。

 

私は何故こんなに嘘が嫌いで、嘘を許容出来ず、嘘を拒絶しているのか?

 

それは私が育った原家族にあることに気がつきました。

 

10歳までは父、母、父親違いの8歳年上の兄と私の4人家族で暮らしていました。

 

母は腹の中に何1つ溜めることのないような人物で、こちらが聞きたくないことも全て話して来ては、そんな自分を誇らしく思っているような人でした。

 

(母の恋愛話、性的なことなど本気で聞きたくないことも含め)

 

10歳以降、男手一つで育ててくれた父は、私に「どんなことをしてもいいから、お父さんにだけは嘘をつくな」と良く言っていました。

 

おかげで中学後半から高校始めくらいにグレた時も、お父さんには割と話すという謎の思春期を過ごしました。

 

(悪いことはガッツリ怒られたり、女の子特有の体の変化などは言いづらくて言えないこともあったので、全て正直にとはいかなかったけれど)

 

そんな人生を経て、私の中に自然と『嘘は極悪』みたいな固定観念が出来上がっていき、成人する頃には「素直に生きること」が、すっかり裏テーマになっていた。

 

そのおかげで、周りの人に恵まれることも多々あったので、これはこれで自分の生き方としてはアリだったと思う。

 

が!!

 

その『嘘は極悪』が、対自分じゃない人に向けられた時に、猛烈にややこしくなるんじゃないかと思えて来た。

 

自分の中の、幼い私が正義を振りかざして「嘘はダメ!絶対!!」と叫んでいる。

 

それが1番身近で信頼しているパパに繰り返し嘘をつかれることで『嘘は極悪』の信念がどんどん凝り固まっていってしまった。

 

信念なので、崩そうとされると猛烈な抵抗感を覚えるし、自分が信じてたものを崩されるような悲しみにも襲われる。

 

これがずーっとずーっとパパを許せなかった要因の1つだと思う。

 

正直、お金のことより嘘をつかれたことについて怒ることの方が多かったし、嘘をつかれたことを引きずることばかりだった。

 

しまいに「嘘をつく=愛していない証拠」と感じてしまって苦しんでいた。

 

今考えたら、この嘘について執拗にこだわってしまっていたのは私の育ちのせいなのかもしれない。

 

嘘ついたっていいじゃない。

 

なんかふと、そう思えた。

 

パパは自分の問題を見ないよう嘘をついていないと、苦しくて生きていけない人なんだから。

 

そして私は私でこの先も「素直に生きること」を裏テーマに生きればいいじゃない。

 

そう思えた今日。

また1つ収穫を得た気分になる。