パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

【近況】思いがけずアダルトチルドレン(AC)を克服した話

1月上旬。

思いがけず長年の悩みだったアダルトチルドレン(AC)の問題を克服した瞬間があった。

 

私はずーっと長い間、今流行りの

 

毒親に育てられた』

 

と思っていたのだが、そうではなく、

 

『私は10歳で毒親に捨てられた』

 

のだと気づき、急に目の前が明るくなるような気持ちになった。

 

なぜ「捨てられた」ことに明るい気持ちになったかというと、私は10歳の頃に母親が8歳上の兄と家を出て行ってしまい、父親と私の2人だけにされてしまった時から、心の奥底に

 

『母親に置いていかれた、捨てられた』

 

という感情をずーっと持ち続けていた。

 

出て行った後も母親と兄に週末になると会いに行ったり、何かと関わることがあったのだが、何せパンチの効いた人生を謳歌している母親なので、父親との離婚が成立する前に、妻子ある他の男性の子供を身籠るというありさまだった。

 

私は一応3人兄妹の真ん中なのだが、8歳上の兄とも父親が違い、11歳下の妹とも父親が違う。

 

妹に至っては1度も一緒に暮らしたことはないが、自分の子ではないのに父親が妹を可愛がっていたことや、私とも一回りほど歳が離れているので、ただただ可愛くて複雑だけれど「妹」として今も仲良くしている。

 

今となってはその全てが「大人によって決められた価値観」だったんだなぁと思うこともあるが、当時11歳だった私は疑うこともなく、当時の現実を受け止めていた。

 

そんなパンチの効いた母親は年に1度、妻子ある男性(妹の父親)とまだ小さかった妹と温泉旅行へ行っていたのだが、ある年から私も誘われるようになった。

 

私は『親に捨てられた子』特有の、「親の愛情を渇望」するようなところがあったので、旅行に連れて行ってもらえることにとても喜びを感じていた。

 

けれどその旅行は、決して想像していたような楽しいものではなかった。

 

『あんたがいると家族に見えるから』

 

言われた当時は、その言葉の本当の意味も分からず「私は今、母親の役に立ててる」位に感じていたのだが、そんなの大間違い。

 

妹を41歳で産んだ母と、妹が生まれた時に45歳だった妻子持ちの男性は、旅行へ行く頃には40代半ばのオバサンと50歳近いオッサンになっていた。

 

そこに幼稚園に通うか通わないかくらい小さな妹。

 

不自然な3人組。

 

今から25年前はそれほど高齢出産もメジャーではなかったのか、やることが派手な癖に周りの目を気にする母親だからか、

 

『不倫カップルが、家族に見せかけるため』

 

の、要員として私は連れて行かれていた。

 

その他にも幼い頃から(父親との結婚生活中)も何かと

 

『あんたにはお父さんがいるからいいじゃない』

 

と、恨み辛みを言われ、今となっては本当の話なのかも疑問な母親の不幸話の聞き役に回されることが多々あった。

 

好き好んで私を身籠って、兄を連れて父親と再婚した癖に、何か思い通りに行かないと誰かのせいにし、その腹いせを口答えしない私にしているような母親だった。

 

それでも『親に捨てられた子特有』の「親の愛情を渇望」していた私は、母親の愛情を求め、憧れていた。

 

話は冒頭に戻るのだが、なぜ私が「捨てられた」ことに明るい気持ちになったのかと言うと。。

 

2014年に父親が亡くなって以来、極力母親との交流は減らしていたのだが、

 

昨年12月の長女の誕生日を始め、年末年始に孫である子供達と会う目的で母親と関わる機会があり、私にとっては『毒親』でも、子供達にとっては

 

「たまに会うちょっと変わったおばあちゃん」

 

くらいのレベルなので、子供達が交流することメインで関わる時間を持った。

 

近年、妹も自立して1人暮らしになり、話し相手もいない母親は、何かと私との時間を持とうとする(内容はただただ延々と私が母親の嘘か本当かわからない話を聞き続けるといったもの)。

 

人の言うことを疑わない私は、今まではどんな作り話も作り話と気づかずに「うんうん」と聞いていたのだが、ここ最近は「あれ?ここから先は真実じゃないな?」と、言うことがわかるようになり、その日はたった2時間だけ一緒に過ごしただけ(2時間延々と話を聞き続けた)で、ものすごーく疲れた。

 

多分、途中から脳内で母親の話を正しいことに変換しながら聞かなくちゃいけないせいだと思うが、本当に疲れた。

 

そんな時間を義務的に過ごした数日後、昔からの友人のお宅へ遊びに行く機会があった。

 

中学生の頃からの付き合いなので、母親のことや父親のこと、兄妹のことも知っていて、自分のアダルトチルドレン(AC)な一面も話せる唯一の存在なのだが、その子と話をしている時に、思いがけずアダルトチルドレン(AC)を克服する瞬間が訪れた。

 

(.12月中旬、年末年始と母親と関わって)

「ものすごーく疲れたよー」なんて何気なく話始めたのだが、

 

ふと『私、あの時(10歳)捨てられて良かった』

 

と言う言葉が口から出た。

 

でも改めて考えると本当にその通りで、もしあの時に、選択肢もなく母親に連れられて家を出ていたら、母親の役に立てるように振る舞う生活から抜けられなかっただろうし、母親を毛嫌いしている兄と、母親を上手に転がすことの出来る妹に挟まれて、母親の受け皿的役目の私は今以上に自分の人生を生きられなかっただろうし、共依存症を深めていたと思う。

 

そのことにふと気づいたので、今となっては、

 

『あの時、捨てられて良かった!ありがとう!』

 

くらいまで気持ちが回復し、26年来のアダルトチルドレン(AC)の悩みにサヨナラすることが出来た。

 

毒親に育てられた』と思っていたのは、一緒に暮らしてもいない母親に、ずーっと囚われ続けて来た価値観で、本当は『毒親に捨てられた』ので、自分の人生を母親に縛られる必要はなかったのだ。

 

だって『捨てられた』のだから。

 

自分の人生から消え去った人を、追い求める必要なんてなかった。しかも心の中で追い求めてる内に、現実にいるやりたい放題やって図々しく生きている母親じゃなく、理想の憧れの子供思いの優しい母親像を作り上げていた。

 

本当に意外なところで目が覚めて良かったと思う。

 

思いがけずアダルトチルドレン(AC)を克服出来たのは、本当にありがたい出来事だった。