パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

自分自身の底つき

パパがギャンブル依存症と診断された頃、私は心身共にピークに自分自身の底つきを感じていた。

 

『底つき』とは?

 

私の個人的な感想で言うと。。

 

「本気の絶望感」

 

という感じ。

 

それから7ヶ月の間に「ギャンブル依存症者を抱える家族の自助グループ」「共依存症自助グループ」まだ1度しか足を運んでいないけれど「アダルトチルドレン(AC)の自助グループ」と、自分が直面した自分自身の問題に、その都度合う自助グループに参加した。

 

毎週色々な刺激をもらい、知らなかったことを知って、沢山のことに気づくことが出来て、今までボヤーッとしていた物事が1つ1つクリアーになって来るような清々しさを感じていて、自分がすっかり『回復』に向かっていると思っていた。

 

 

が!!

 

 

ここに来て今、猛烈に「自分自身の底つき」を感じている。

 

 というのも、今まで私からパパに自助グループや本人の会へ足を運んで!と促すことで、月2回の自助グループや本人の会への参加のペースを維持していたのだが、今月はパパが自発的に5回も(!!)自助グループと本人の会へ足を運んだことが原因だった。

 

(それが原因と言っている時点で、私の共依存度合いを物語っているのだが)

 

『強迫的ギャンブラーが自発的に自助グループへの回数を増やした!』

 

なんて、側から見たらとても良いことなのに、パパが夜な夜な家を空けることで、私は今まで受けた様々なトラウマが蘇ってしまい

 

「本当はスリップしてギャンブルをしてるんじゃないか」

 

とか、

 

自助グループへ行くといいつつ、消費者金融から借金して遊び歩いてるんじゃないか」

 

という気持ちが大きくなり、とてつもない不安に押し潰される日々を過ごした。

 

そして自助グループや本人の会を終えて、何かしらを感じて、本人なりに気づきを得てサッパリしているパパが話す内容が、嬉しい反面、やはりギャンブル依存症者ではない私には全く理解出来ないような発言が端々にあり、古傷をえぐられる結果となってしまった。

 

パパ自身が正直になれたこと、そしてパパ自身が自分の行動を振り返る時間が出来たことは、本当に大きな変化だし、私も本当に嬉しいのに、パパが悪気なく話す

 

「依存状態まっしぐら」

 

の頃の振り返りの話は、私にとっては

 

「訳もわからず辛かった時期まっしぐら」

 

の状態だったことが蘇って来て、聞いてて本当に辛くなってしまった。

 

そして、この7ヶ月で良い方向に大きく変わったはずの自分の心が、不安と共に一気に闇に引き戻されてしまったような気持ちになった。

 

『この7ヶ月自分がやって来たことって、何だったんだろう?』

 

ここ1〜2週間はそんな思いに囚われて、7ヶ月前に感じた「パパのギャンブルの問題に対してへの底つき」とは違う『自分自身への底つき』を感じていた。

 

懸命にギャンブル依存症という病気を知ろうとして、パパのことを少しでも理解したいと突き進んで来た7ヶ月自体にも絶望感を感じて、今週は自助グループへの参加も辞めようかな。。と思うほど落ち込んでいた。

 

でもやはり今の自分に自助グループは欠かせない場所だということを、無意識に心と体は感じているようで、結局休まずに自助グループへ参加した。

 

そして、ありのまま『自分自身の底つき』を感じていることを分かち合ってもらい、会が終わったあとに、私よりもずっと先を歩いている経験豊富な仲間が声をかけてくれたことで、

 

「あ、間違ってなかったんだな」

 

と、思えたことが本当に大きな収穫になった。

 

自分が『回復』するために、この7ヶ月は自助グループへ足を運んでいたし『回復』しつつある自分を感じることが増えて、このまま私は「心身共に健康な自分」になって人生を取り戻せるんだ!と思っていたけれど、どうやら自分がそんな劇的に別人になることはないらしく、重い気持ちを引きずりながらも足を運んで、分かち合いをすることで、また自分自身に落ち着きを取り戻せることが大切なんだなぁと感じた。

 

今回の『自分自身の底つき』では、

 

①相変わらずパパをコントロールしようとしている共依存な自分

②自分は物事に対して無力だと認めたつもりだったのに、全然認められてなかったこと

③自分に不要な情報や、受け止め切れないことを、また必死に背負いこもうとしていた

 

そんなことを感じた1〜2週間でした。