パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

出処不明の2000円

卒園式の日に、パパの財布に出処不明の2000円が入っていたらしい。

 

突如、私に

 

「ママ、俺の財布に2000円入れた?」

 

と、言われた。

 

入れるわけないよね。

 

最近は1回につき1000円ずつしか渡してなかったし、3月初めにスリップがわかった時に自分から『現金じゃなく電子マネーで』って言ってたので、11日の謝恩会の日以外現金は一切渡していない。

 

どうせ消費者金融から借りてた時のお金でも余ってたんだろうと思い、スルーしようとしたら

 

「ママが俺のことを試すために入れたんだと思った。」

 

と、言い出した。

 

はい?

そんな面倒臭いことしませんけど?

 

パパを試すために、コッソリ財布にお金を入れてそれをパパが使い切った頃に私が「2000円知らない?」と、カマをかけてくるという妄想を繰り広げていたらしい。

 

病気ですよね。

 

今スリップしてないはずなんだけどなー。

 

自分でも今は何もない!とか言い張ってるのに、嘘と妄想は辞められないのかしら。

 

また巧妙に人に擦りつけて来たよ!と思って、その説明のつかないお金についての説明を求めたら、しばらくアレコレ考えた末に

 

「最近ずーっと住宅ローンのこと考えてたから、元々財布にいくら入ってたかの記憶がない」

 

とのことでした。

 

そもそも11日の謝恩会以外で現金は持ってないし、その時に余ったお金は返してもらってるので、元々財布には0円のはずなんですけど?

 

2000円どうこうよりも、最近は

 

『何かにつけて巧妙に人のせいにしてくる』

 

ことが目につくし、面倒に感じる。

 

正直、相手がギャンブル依存症者じゃなければ、出処不明の2000円なんて気にもならないことなのになぁ。

 

1つ1つ面倒臭くて、人生でやらなくていいような遠回りばかりしているように感じる。

 

共依存を知った時に読んだ本に、こういう人は

 

「あの手のこの手を使って上手く相手からのケアを引き出そうとする」

 

ということが書いてあったのだが、まさにそういうことなんだろうなぁと思った。

 

それに気づかず、今までは盲目的に献身的にやってきたけれど「面倒臭いな」と感じ始めることで、少しずつ心の距離や境界線が出来てきているのかもしれない。

 

嫌いになったとか、別れたいとかじゃなくても心の距離とか境界線を引けるようになることは大切なんじゃないかと思う。