パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

次女の出産祝い-③反省の丸坊主-

三つ折りの1万円札や、義母の周りの人のお祝いに続いて、その後に7万円ほどが消える事件があった。

 

他方から頂いたお祝いの内祝いの品をまとめてカード払いで購入したので、その分のお金を期日までに引き落としの口座に入金するためのお金だった。

 

さすがにその頃には『俺は知らない!やってない!』を通されても、こちらとしては1円も補填する気はなかった。

 

人の話は素直に受け取るタイプの私は、その頃義母に「何でも相談してね。」と言われていたのをそのまま受け取り、この件も伝えていた。

 

そして。。

 

私「今回はもう家計からはどうしようも出来ないです。。」

 

と、伝えたところ

 

義「息子の入っている保険は月に1000円ずつの積立も含まれてるから、そこから引き出すことが出来る。」

 

とのこと。

 

義母は保険のセールスレディ(って今も言うのかな?)だったので、息子も自動的に自分が決めた保険に加入させていたらしく、保険の内容について詳しい様子だった。

 

とりあえずその時は保険からの引き出し方を教えてもらい、義母の言う通りに作業を進めた。

 

余談だが、その時義母に言われた一言で忘れられない言葉がある。

 

「その保険、始めは私が払っていたものだから」

 

と言う、何とも恩着せがましいものだった。

 

高校卒業後から働き始めて、そこからはパパが自分で保険料を払っていたので、その月1000円の保険の積立がいつから始まったものなのかはわからないのだが、わざわざ私に言うことだろうか?と思ってしまった。

 

私自身、嫌味を言われても気付かないタイプなので、どういう意味を込めて言われたのか未だにわからないが「何でも相談してね」と言うわりに、相談したところでこちらが嫌な思いをする事も多かった。

 

もちろん自分の息子が1番可愛い気持ちもわかるし、息子がおかしな行動をしているのを私との関係にこじつけたい気持ちもわかったので、この件以降は数万円、数千円消えたり、パパにおかしな行動があっても義母に報告することはせず、帰省で会った時には義母が喜びそうな報告のみをすることにした。

 

この件があったのは2013年11月で、その頃は家庭内で数万円、数千円単位で消えていくことがまだ度々あったので、1つ1つは細かすぎて覚えていない。

 

が、その頃にパパの行動に限界が来て、1度パパの頭を丸坊主にしたことがある。

 

丸坊主にしてみた理由は、パパは小学生の頃から髪の毛にこだわりがあり、小学生の頃のサッカー少年団の練習の中でリフティングが○○回連続で出来なければ丸坊主という、今でいう『ブラック部活』みたいな無茶なルールがあった時に、周りがどんどん丸坊主になっていく中で自分1人だけは丸坊主になりたくない一心で必死に頑張って丸坊主を免れたというエピソードがあるくらい、本人にとって丸坊主は苦痛なことだったので、丸坊主自体にはなんの効果もないだろうと分かっていたが、私にしてみたら消えたお金は戻って来ないし、平気で嘘ばかりつかれた嫌な思い出は消えないし、だからといってこれと言った納得のいく謝罪もないので「反省の意」を込めて丸坊主にしてもらうことにした。

 

その時も自分のしてきたことを棚に上げて、丸坊主が嫌だの主張はしてたけれど、彼の中で離婚することと比べると丸坊主の方がマシだったらしく、合意の元でバリカンで刈ることになった。

 

そしてその後はピッタリと家のお金に手を出すことがなくなった。

 

2013年8月。次女の100日記念日の頃は、パパに振り回され過ぎていたので、家族写真を撮る気力すら湧かなかったのだが、11月に丸坊主にして以来、表面上では落ち着いていたので、

 

「色々大変だったけれど、もう落ち着いたんだ。」

 

という安堵の気持ちで、生後6ヶ月になった次女と丸坊主のパパを含めた家族5人で、気持ちを新たに3ヶ月遅れの家族写真を撮った。

 

今となってわかっているのは、この後からパパは水面下でもっともっとギャンブルにのめり込み、消費者金融に手を出し始めて酷い状況に突っ走っていくことになるのだが、ギャンブル依存症という病気について無知だった私は、水面下で動いているなんて全く知らずに、当たり前の生活が送れている毎日にささやかな幸せを感じていた。

 

『やっとわかってくれた。やっと普通の生活が送れるんだ。』

 

と、心から思っていたのだが、全く意味のない勘違いだった。