責めても何も変わらない
よく自助グループで教えてもらうこと。
『ギャンブル依存症は病気だから、責めても何も変わらない』
これについても頭では理解して、大分腑に落ちるようになってきたが、やっぱりインフルエンザの子供を預けてまで馬券場に走ったことを、責めずにはいられない。
パパには響かなくても意味はなくても、私は子供達のことに関してはパパを信頼していたから、本当に悲しい。
初日の朝以外、次男は楽しそうに3日間通っていたみたいだけれど、高熱の中で慣れない施設に連れていかれた次男の気持ちを思うと、本当に怒りの気持ちが湧いてくる。
何より腹立たしいのは、体調不良の次男を仕事と偽って預けたあと、カラオケ・マンガ喫茶・馬券場と3日間で27万もの借金をして散財した癖に、次男の病児保育(1日2000円)を、
「病児保育って高いよなぁ」
と言っていたこと。
いやいや、病気の子を親に代わって1日中看病してくれて2000円なんて安いくらいだよ?
その後、退院時に赤ちゃんのミルクやオムツと必要なものを購入した時にも、
「ミルクとオムツこれだけで5000円て高すぎ」
と言っていた。
いやいや、赤ちゃんにとっての生活必需品で、しかも数あるベビー用品の中でも安いの買ってるよ?
借金してまで3日間で27万も散財した人間がいうセリフだろうか。
以前も2017.11月にスリップしてた時、1年間ダンスを頑張ってきた発表会の後に、長女と次女に1つ800円の小物を買ってあげた時も
「こんなんに800円?高けー!」
と言っていた。
いやいや、1年間この日の為に頑張って来たご褒美だよ?もっと高いもの買ってあげても良いくらいだと思うよ?
ゲーム課金するために借金してまで1日35000円使う人間がよく言えるよなと思った。
頭がおかしいのはもちろん、人としての心までないように感じてしまう。
ギャンブル依存症を知る人達には
「そうじゃないんだよ、愛情がないわけじゃないんだよ、彼らは苦しんでるんだよ」
と言われるが、全部が全部そうじゃないよね?どこをどうしたらその行為から愛情を感じることが出来るんだろう?
回復に向かってる様に見えていた時は、少しはそういうことも感じられたけれど、結局自助グループ通いを増やしたのも、陰で盛大にスリップしていたからだったし。。
さらに精神保健センターの方の本人の会では
『自分は回復に向かってる』
と、本当は盛大にスリップしている癖に、平気で嘘をつき、偽りの姿で参加していたので、気まずいらしく、2月に入ってから行っていない。
それどころか2/14に、私に借金がバレてからパパは1度も自助グループへ行っていない。
ギャンブル依存症とわかる前までは、家族が一丸となって尻拭いをしてくれていたが、もう家族の経済的な助けはないことから、自助グループに足を運ぶ回数を増やして、自分の問題を見ないように気を紛らわせてただけ。
所詮、そんなものなんだなぁと思ってしまう。
回復する気も、見つめ直す気もないんだなと改めて感じる。