想い出話すら出来ない生活
昨夜の話。
出産前、最後の休みということで夫婦で外食することになった。
1軒目は私の希望のお店で、2軒目はパパの地元メニューが看板のお店へ。
お互い食べることが大好きなので、数々の料理を2人で「美味しいねー!」と食べて、それなりに楽しい時間は過ごしていた。
2軒目のお店へ行った時、パパの地元メニューが看板のお店で、本店がパパの地元にあるので、自然とパパの地元の話や、義実家に遊びに行った時の話になった。
年に数回、義実家に遊びに行った時は、昼か夜に子供達を預かってもらい、2人で外食するのが楽しみの1つだったのだが、夜におでかけしよう!という時に限ってパパが体調を崩し、ことごとく叶わなかった。
しまいには一昨年の暮れの結婚記念日、パパには隠れて莫大な借金があり、そこから逃避するための浮気相手までいて、本人の気が大きくなっていたのか、それとも後ろめたさからなのか、私は無駄に冷たくされ泣かされ、結局おでかけも無しになる事件があった。
なので、結局パパの地元で2人で夜に外食したのは結婚当初の1回のみ。
パパの地元でも夜のおでかけの話になったので、
「こういうこともあったね、ああゆうこともあったね」
の話の内容的に、その話は自然と出てきて
私「あの時ああだったよねー」
のような話をしていたら、パパが突然
パ「そうやって一生責められるのか。」
と、嫌な顔で言ってきた。
もうビックリ!!笑
責めた言い方なんて1つもしていないし、想い出話をしていただけで、それが私達の結婚生活の想い出なんだから、その話になるのは仕方がないのに。
けれど、常に『自分がいい人間』でいないといけないパパは、現実の想い出は受け止められないらしい。
『現実の想い出=自分を偽り続けて得た出来事』
だから、こちらが普通に話していても、責められてる気持ちになるんだろう。
『何かステキなことをしてあげてる自分』
じゃないと、想い出として受け止められないらしい。
正直、何かステキなことをしてくれた時も、常に裏には隠れ借金やギャンブルがあった訳で。。
私が事実を何も知らない時は、そのステキな行為を喜んで受け入れていても、その後にあの時も陰では家族に隠れてやりたい放題でしたとわかったら、そのステキな想い出も一気に陰りを見せるのは仕方のないことだと思う。
出会ってから10年くらい、そんなことばかりだったなーと実感した昨夜。
ギャンブル依存症も拗らせているけれど、話せば話すだけ発達障害なんだろうなぁ。。と思わざるを得ない発言が多い。
パパ本人が自分を振り返って、底つきを認めて、自助グループだけではなくキチンと病院での治療に繋がれることを祈って。
想い出話すらパパの気持ちを折ってしまうのなら、私に言えることも出来ることももう何もないから。。