【近況】入院中でも共依存の自助グループは欠かせない
まだ出産の入院中だけれど、しっかり本を持ち込み、共依存の自助グループへ参加させてもらった。
中途半端な参加になってしまったが、今日も本当に沢山の共感があり、全体の中にすごく良い雰囲気を感じることが出来た。
私はここ12年ほど妊娠→出産を繰り返しているので、一般的な薬を飲む機会がほとんどなく、ちょうど独身時代にアロマセラピーのサロンで働いていたこともあり、生活の中に自然療法がゆるーく浸透していて、
初めて長男を妊娠してから、薬を飲むほどでもない日常の小さな不調はホメオパシーを活用しているのだが、今日の自助グループではそんなことを感じた瞬間があった。
ホメオパシーは同種療法と言われていて、説明の文章も様々なのだが、
『似たものは似たものを癒す』
とか
『類似したものは類似したものを治す』
などと言われていて、今日の自助グループではそんな瞬間を感じる出来事があった。
それは参加していたそれぞれが、この自助グループが始まってどんどん『回復』をしているのを感じていると言う内容だった。
元を辿れば、それぞれ別の自助グループへ参加していたのだが、この共依存の自助グループと繋がってから、自分の回復を実感することが増えたという。
もちろん元々自分が足を運んでいるホームグループは大切な場所なのだが、共依存の自助グループへの参加を通して感じる『回復』はまた違う、より深い手応えを感じているとの話。
私も全く同じ気持ちだった。
それは多分、今共依存の自助グループに参加しているメンバーの様々な部分が「似ている」からではないかなと思った。
ここ最近、私の回復に比べて気づきも少なく回復の兆しもみえないパパを見ていて、
ギャンブル依存症の本人の自助グループでも、自分が深く共感出来てピンとくる人や話に、なかなか出会えないんだろうなと感じていて、
やっぱり根っからのギャンブルオンリーのギャンブラーじゃなく、浪費や借金依存が強いパパは、ギャンブラー本人の自助グループへ行っても自分と近しい人に出会えないのかなと思った。
症状が近しい人と出会えたらまた違うのかなぁなどと、また私はパパに対して得意の共依存を発動させていたのだが、まさに今日私がそれを身をもって感じることとなった。
『似たものは似たものを癒す』
そして共鳴して癒されたあとは
『どんどん良くなっていく』
それも無理してるわけでもなく、自然に。
大袈裟だけれどホメオパシー(同種療法)だけでなく、これは自然の摂理なのかもしれない!!とまで感じた時間だった。
なので、いくら私がパパを心配してあれこれ提案しようが提供しようが、やはり私はパパの同種じゃなく異種なので癒されるはずもなく、意味がないんじゃないかと思う。
パパのギャンブル依存症を理解しようと同種になろうと頑張っても、それは『偽りの同種』に過ぎない。
よく自助グループで。。
「パパも本人の自助グループに繋がっているし、パパはパパの仲間と分かち合えばいいんだよ」
と言われていたことも、頭の中で同種療法の話と繋がったことから、なんだかすごく腑に落ちた。
やっぱり似たもの同士で分かち合うことで、自分に近い回復の道を見つけることが出来るのかもしれない。
パパのスリップや回復がみられないのは、自分に近しい似たものに出会えていないだけかもしれない。
なのでパパの回復について、私が恐れることは何もないんだと思えた。
【近況】自分に疲れる共依存の発動
2018年2月22日に、無事帝王切開で6人目の赤ちゃんが産まれました!
兄妹の中で1番週数が早く生まれたのに、1番カラダも声も大きくて元気いっぱいの女の子です。
出産前日から当日、翌日までは出産の普段と違うテンションと、妊娠中本当に色々あったのに無事に生まれてきてきてくれたことに「ありがとう」の気持ちで、余計な考えが湧き起こる隙間なく幸せいっぱいな3日間を過ごしていました。
が!!
昨日、ギャンブル+借金+買い物依存症パパの差し入れで、またしても嫌な記憶がよみがえり。。そこから脳内のぐるぐるが止まらなくなり、思いっきり共依存症状が発動。
キッカケはとても小さい出来事で、パパが持って来た「差し入れ」と称した自分の趣味の音楽雑誌。
入院してる私の意見すら聞かず、好みを一切無視して、自分が読んで欲しいからの一心で頼んでもいない雑誌を差し入れてくるあたりも、発達障害の傾向なんだろうなぁと思いつつ。。
その時に放った一言が
『これ、後輩が俺に読んでみてくださいって渡して来たんだけど、ママも読んでみて!』
とのこと。。
何が問題かと言うと、この「後輩にもらった」と言う時は9割以上の確率で借金して買ったものだから。
過去には浮気相手からもらったマフラーを意気揚々と「これ、後輩にもらったんだ!どう?」と見せてきたこともあった。
とにかく自分をよく見られたいパパは、架空の頼られてるアピールをしたいのか、この「後輩にもらった」系の話をやたらして来ますが、借金が明るみになった後にポロポロと話を聞くと9割は嘘。
ライブのチケット、洋服、雑誌、趣味のもの等々。。我が家で禁止してる訳でも買っちゃダメと言ってる訳でもない。
むしろ家計からも買ってる。。
けれど家族の前でもいいパパでいたいから、欲が強すぎて普通レベルで満足出来ない自分を隠すのに、一般的な物欲以上のものは、陰でコソコソ借金をして買うのがすっかり身についているんだろう。
そしてその雑誌は、ついこの間盛大にスリップして湯水のように消費者金融からお金を引き出していた時期に発売されたもの。
正直に「その時に買ったんだけれど。。」と前置きしてくれたらこちらもスッキリするのに、どうも嘘は止められないらしい。
(嘘をついてるっていう決めつけだけれど)
ギャンブル依存症者あるあるですが、自分が嘘をついている感覚がまずなくて、嘘ついた感覚もないから、その後ボロが出たときも「覚えていない」の一点張り。。というか、本当に覚えていない。
それがわかっているし、こちらが「後輩にもらった」の一言でどれだけ嫌な思いをするのかもパパは全く察することが出来ないから、平気で傷をえぐってくる。
そして予想外に傷をえぐられた私は、
「この人、無理!」
↓
「本気で回復して欲しい。。」
↓
「もっと回復に役立つ自助グループはないか。。」
と、産後3日目にして、パパに合いそうな自助グループを懸命に探していた。
そして地元にも借金(浪費)依存症の自助グループが1つあることを知って、夜な夜なLINEで情報をシェアした。
でも途中で、パパに良さそうなものを調べたり考えたりすることが苦しいのにやめられない自分に気がついて、そっとLINEの送信削除をした。
ほんと他の依存症の症状と全く同じ感覚だなーと自覚した。
『やめたいのに止められない』
結果、今回は自分で途中で気がついて止めることが出来たけれど、気がつくまで数時間は止めることが出来なかった。
でもこうして自分の共依存の症状に気がつけるようになったのは、大きな収穫だと思う。
そしてまた改めてパパの問題はパパの問題だから手放そうと思った。
ギャンブル依存症でもそうなのだが、本人の方達の話を聞かせてもらうことで、パパの言動をすんなりと理解することが出来て勉強になるので、借金(浪費)依存症の自助グループについて、パパにシェアした情報を自分のために使ってみようかと思う。
次の開催が来月末なので、産後1ヶ月経つし、まずは私自身が参加してみよう。
キッカケはパパの病気だけれど、パパにこうしなよ!ああしなよ!と言うのではなく、こうして軸を自分にする行動を少しずつ出来るようになってきたことは、とても意味があるように感じる。
【近況】オープンスピーカーズミーティングに参加しました
パパのスリップ(再発)事件で前後しているが、2月上旬に地元で初めての開催となる、自助グループの回復者の方々によるスピーチ会に参加した。
タイミングよく『本当の回復って何だろう?』という思いを抱いていた時だったので、この会への参加は本当に意義のあるものになった。
ギャンブラーご本人とギャンブラーの家族数名が、自分の体験談をスピーチしてくれるのだが、やはり生の声の説得力は違った。
ギャンブラーの家族の話は共感の嵐で、時々自分と重ねてはウルウルとしてしまう場面もあった。
そしてギャンブラーご本人の生の声は、パパの声のように聞くことが出来た。
というより、普段パパが言っていることについては、今までにされてきた数々の出来事が邪魔をして真っ直ぐに受け止めて聞くことが出来ていなかったことに気がつく。
ギャンブラーご本人の体験談を聞くことで、ギャンブラー自身が苦しんでいることを客観的に捉えることが少し出来た。
私達より20歳は年上であろう、17年ギャンブルと借金を止め続けている方が、奥様との関係について、
「妻を愛していないとかそういうことでは全くない」
と言っていたのを聞き「パパと同じだ!」と思った。
パパの口から言われると「散々、私達を傷つけたくせに何を言う!」と思うのに、ギャンブラーご本人の方が話しているのを聞いた時は、
『そっかぁ、そうなんだ。』
と、受け止めることが出来た。
その他の話の内容も「パパはこう考えて、こう苦しんで、こうやってもがいてたんだなぁ」と感じて、
『愛してるけれど、私を苦しめる不可解なだけの人物』
だったパパのことを、少し本人目線で感じられたことがとても良かった。
そして、家族の立場でスピーチしている方達のお話は、どの方の話もとても良くて、それぞれが新しい人生のステージに立っている事を目の当たりにして、すごく勇気をもらった。
パパが問題を起こす度に、始めの頃は「もうこんなことしないよね」と立ち直りも早かった自分が、回数を重ね、頻度が増し、内容も重症になってくると、どんどん立ち直れなくなり
『もうダメかも知れない。。』
『本当に限界。。』
と、どんどん気持ちを建て直すことが出来なくなって行っていた。
その気持ちが底をついて、自助グループに繋がることが出来てから、少しずつ少しずつ元気になりつつはあったが、
深く傷がついた心はやっぱりとても脆くて、過去の出来事がフラッシュバックしては、立ち直るのに時間がかかることが多々あった。
何より『回復』を目指して自助グループに足を運んでいるのに、先の人生に希望を見出せずに、パパのスリップ(再発)や、ギャンブル依存症の真っ只中のパパの人格障害のような豹変ぶりを恐れてばかりいた。
『パパと子供達と幸せに生きたい』
そう思う気持ちを持ちつつも、過去の出来事に囚われて怖がってばかりいた。
「幸せに生きたい」と思えば思うほど、
『これ以上、何かあったら子供達と逃げなくちゃいけない』
という、防衛本能が働いて全く希望ある未来へのイメージなんて湧いて来なかった。
それが、私の先を行く同じ経験をした方達の話を聞くことで、選択肢は沢山あることを感じることが出来て
『そっか、怖がることはないんだ』
と、とても勇気をもらった。
自分を動けなくしているのは、自分自身の『恐れ』が大きいのかもしれないなぁと感じた。
そんな素敵な時間を体験することが出来て、心にどっしりとしたベースが出来たことで、今回のパパの盛大なスリップ(再発)も受け止めることが出来たのかも知れない。
理解不能なパパの発言⑤
先日、私が冗談で
「もし私に実は1000万の借金があるって言ったらどうする?」
と、聞いたところ
「破産(自己破産)しよっかーって言う」
と、言われる。
『頑張って返す手段を見つけよう』
という気持ちは湧いてこないんだなとビックリした。
自分の依存症のことを話す時は、異常なまでに「世間の目」が気になって、それが原因で逃避してしまうと言っているのに、パパの中で『自己破産』はそんな軽いものなのかとビックリした。
この発言からも今まで尻拭いし続けてもらっていたものに関して、返す気がないことが伺える。
私の中では『自己破産』をする方が、住宅ローンが組めなかったり、子供の進学の際に、もしローンを組むことになっても組めなかったりと、よっぽど「世間の目」が気になることだと思うのだがそういう考えはないらしい。
安易に楽になれる手段を選んでも、結果楽にはなれないことは本人が1番わかっていそうなところだが、それが理解出来ないのが依存症という病気なのだろうか?
「精神論じゃないんだよ」
「病気のことをわかってない人間が、ごちゃごちゃいうなって感じだよね」
と、世の中に向けて逆ギレ気味に話すパパだが、誰も身近な人がパパに精神論は突き付けてないことから、
「それは誰のことを言ってるの?」
と、聞くと
「何もわかってない人達」
と、架空の人物の話をしてくる。
結局のところ依存症という病気から逃避したいだけなのか、前回の借金の末期の頃に現れた『統合失調症』のような症状なのかもしれない。
『回復』どころか、パパは想像以上に色んなものを抱えているのかも知れない。
そしてパパの問題を自分のことのように考え、悩み、分析し、調べ、アドバイスをしてる私は本当にどっぷりと『共依存』なんだなぁと実感した。
努力して自分のことを考えなくちゃ!!
理解不能なパパの発言④
今日は時間もあるので、続けてブログ更新したいと思います。
今回のパパの理解不能な発言は、先日バレンタインデーの日に2017年11月後半から2018年2月の約3ヶ月でギャンブル依存症(今回はゲーム課金と競馬)で、80万も盛大にスリップ(再発)していたことが発覚した時のこと。。
パ「ママも何か悪いことして。。じゃないと釣り合わない。」
と言われた。
私「いやぁ、私意外と悪いことしないんだよねー」
と冗談混じりで返したが。。
うーん、何故そうなるかなぁ。
私だって全然ダメなところはいっぱいあるし、パパには私にはない良いところも沢山あるのに。。
私は人生の中で早いうちに、荒れた生活を経験したことがあるせいか、いわゆる一般的な「道徳的に悪い行い」にもう興味がない。
真っ当に生きる方が楽だし、楽しいと感じているから、今はもっとそういう生き方をしていきたいとしか思えない。
パパのギャンブル依存症が発覚する前の数年は、得体の知れないものを前に精神的に徐々におかしくはなっていたが、
『真っ当に生きる方が楽だし、楽しい』
の信念は変わることはない。
それにギャンブル依存症は病気なので、仕返し!みたいな気持ちで同じようなことをすることも難しい。
理解不能な発言はこの先も多々あるんだろうけれど、その理解不能な発言の中からパパの病気の症状や人となりが見えてくるのかなと思うと、このブログに記していくことも無意味じゃないのかなぁと思う。
スリップ(再発)が発覚して、依存対象に手が出せなくなり、借金もあり、暗い気持ちから抜け出せずにどうしてよいかわからなくなってる様子が伝わってくる。
つい私に出来ることは何だろう?と考えてしまうけれど、もがいて苦しんで、パパが自分の道を見つけていくしかないんだろうな。
ギャンブル依存症者の自殺は、相当数いるのもギャンブル依存症者を抱えていると理解できる。
依存状態の時も苦しくて、回復途中もとても苦しいんだと思う。
苦しさに耐えられずまたスリップ(再発)してしまう。その繰り返しを断ち切るのもまた本人にしか出来ないことなんだと思う。
ギャンブル依存症者の周りにいる人達が、いくら本人を思って学んで対応しても、そこで本人の心が救われることはないのかもしれない。
今回のスリップ(再発)で感じているのは、パパが自分で自分を責め続けて、今後自死を選ばない可能性はゼロではないのかも知れないと言うこと。
励ましても支えても沈んだ心は今は戻って来ないようで、心が戻った風の言動の時は、別の依存対象に気持ちがいっているだけで、 結局本質は何も変わっておらず繰り返してるだけなのをヒシヒシと感じてしまう。
理解不能なパパの発言③
シリーズ化してきた『理解不能なパパの発言』
今回は自分がギャンブル依存症と分かっている状態で、2017年11月後半から2018年2月までの約3ヶ月で借金80万のスリップ(再発)をしたあいだの発言。
2017年6月にギャンブル依存症と診断を受け、そこからパパは本人の会や自助グループへ、私は家族の自助グループへ足を運び、ギャンブル依存症という病気や対応、自分の生き方について学んできました。
その過程で、私は毎回の様に気づきがあり、自分が『共依存症』だということ、『AC(アダルトチルドレン)』を抱えているということを知った。
更にその2つに注目しながら、自分を見つめ直している中で「本当の回復してる状態って何だろう??」という疑問を持つようになったのだが、
そこから程なくしてタイミング良く「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さんに、お会いすることが出来た。
『回復してる人って、こういう人の事をいうのか!!』
と、すごくパワーを頂いたし、衝撃を受けた。
そしてこれもまたタイミング良く、その1週間後に地元で初めての「回復した方達によるスピーチ会」に参加することが出来た。
そこでは回復したギャンブラー本人の方や、回復した家族の方が貴重な体験談を話してくれて、またしてもものすごくパワーを頂くことが出来た。
このような流れから、私は色々なことに気がつくことが増え、少しずつ「以前と違う自分」を感じるようになった。
それを感じるとやはり嬉しくて、2018年に入ってから、パパに「自分の回復を感じる」と話をしていた。
パパも2018年1月から自助グループへ足を運ぶ回数を増やしていたので、スリップしてるとは知らない私は2人とも回復に向かっていると勘違いして、パパに「パパは自分が回復してる感じはある?」と聞いたことがある。
その時パパは。。
『回復してるって感じるよ!』
と、ごく普通ーな顔をして言っていた。
》その頃には盛大にスリップしていたのに!!《
理解不能です。。
本当に妄想の世界で生きているとしか思えない発言。。
これがギャンブル依存症という病気の症状なのか?と思うけれど、やっぱり人の目を気にすぎてこういう嘘を重ねてしまう辺りは、発達障害から来てるのかなとも感じてしまう。
さらに、先日のバレンタインデーの日にスリップが明るみに出た際に、この時の話を聞いてみたところ、
「世間の目が気になって、嘘をついてしまった」
と言っていた。
世間の目とは!?
この時は私しかいなかったし、基本的にギャンブル依存症の問題はパパと私の中での会話だったのに。。
「世間体のために回復してる風でいなくちゃいけない」
とでも思ったのでしょうか??
私と会話していたはずなのに、パパの見ている世界は『対、世間』だった。
そう考えると、いつも私と話していても「別の何か」を気にしていることは普段からとても多い。
幼少期に周りから過度の期待をかけられたことを、未だに引きずっているパパらしい発言なのかもしれないなぁと感じた。
全然私はそんなの求めてないし、辛いときも嫌なことも正直にぶつけてくれた方が全然嬉しいと話しても、パパの中の「世間」がカッコ悪いことは許さないんだろう。
だからってそれを自分の座右の銘にして
『カッコ悪いことはしない』
と、竹を割ったような生き方をすることも出来ない。
パパの中の「世間」的に後ろめたいことをしたら、もう自分の人生はそこで舵を取ることが出来なくなる。
そして様々な依存行為に没頭していく。。
やっぱり私がいくら自分を変えても、優しく接しても、愛情を示しても、変わることはないんだな。
私の問題は私だけの問題なのと同じで、パパの問題はパパだけの問題なのだなと再度実感した。
想い出話すら出来ない生活
昨夜の話。
出産前、最後の休みということで夫婦で外食することになった。
1軒目は私の希望のお店で、2軒目はパパの地元メニューが看板のお店へ。
お互い食べることが大好きなので、数々の料理を2人で「美味しいねー!」と食べて、それなりに楽しい時間は過ごしていた。
2軒目のお店へ行った時、パパの地元メニューが看板のお店で、本店がパパの地元にあるので、自然とパパの地元の話や、義実家に遊びに行った時の話になった。
年に数回、義実家に遊びに行った時は、昼か夜に子供達を預かってもらい、2人で外食するのが楽しみの1つだったのだが、夜におでかけしよう!という時に限ってパパが体調を崩し、ことごとく叶わなかった。
しまいには一昨年の暮れの結婚記念日、パパには隠れて莫大な借金があり、そこから逃避するための浮気相手までいて、本人の気が大きくなっていたのか、それとも後ろめたさからなのか、私は無駄に冷たくされ泣かされ、結局おでかけも無しになる事件があった。
なので、結局パパの地元で2人で夜に外食したのは結婚当初の1回のみ。
パパの地元でも夜のおでかけの話になったので、
「こういうこともあったね、ああゆうこともあったね」
の話の内容的に、その話は自然と出てきて
私「あの時ああだったよねー」
のような話をしていたら、パパが突然
パ「そうやって一生責められるのか。」
と、嫌な顔で言ってきた。
もうビックリ!!笑
責めた言い方なんて1つもしていないし、想い出話をしていただけで、それが私達の結婚生活の想い出なんだから、その話になるのは仕方がないのに。
けれど、常に『自分がいい人間』でいないといけないパパは、現実の想い出は受け止められないらしい。
『現実の想い出=自分を偽り続けて得た出来事』
だから、こちらが普通に話していても、責められてる気持ちになるんだろう。
『何かステキなことをしてあげてる自分』
じゃないと、想い出として受け止められないらしい。
正直、何かステキなことをしてくれた時も、常に裏には隠れ借金やギャンブルがあった訳で。。
私が事実を何も知らない時は、そのステキな行為を喜んで受け入れていても、その後にあの時も陰では家族に隠れてやりたい放題でしたとわかったら、そのステキな想い出も一気に陰りを見せるのは仕方のないことだと思う。
出会ってから10年くらい、そんなことばかりだったなーと実感した昨夜。
ギャンブル依存症も拗らせているけれど、話せば話すだけ発達障害なんだろうなぁ。。と思わざるを得ない発言が多い。
パパ本人が自分を振り返って、底つきを認めて、自助グループだけではなくキチンと病院での治療に繋がれることを祈って。
想い出話すらパパの気持ちを折ってしまうのなら、私に言えることも出来ることももう何もないから。。