私と嘘の親密な関係
実は私、小さい頃から嘘ととっても親密な関係を築いていたんです。
嘘が大っっっっっ嫌いなのに!!
というのも、心の中でパパに「人生、8割ウソじゃねーか!」とツッコんだ時に気がついたんです。
私は何故こんなに嘘が嫌いで、嘘を許容出来ず、嘘を拒絶しているのか?
それは私が育った原家族にあることに気がつきました。
10歳までは父、母、父親違いの8歳年上の兄と私の4人家族で暮らしていました。
母は腹の中に何1つ溜めることのないような人物で、こちらが聞きたくないことも全て話して来ては、そんな自分を誇らしく思っているような人でした。
(母の恋愛話、性的なことなど本気で聞きたくないことも含め)
10歳以降、男手一つで育ててくれた父は、私に「どんなことをしてもいいから、お父さんにだけは嘘をつくな」と良く言っていました。
おかげで中学後半から高校始めくらいにグレた時も、お父さんには割と話すという謎の思春期を過ごしました。
(悪いことはガッツリ怒られたり、女の子特有の体の変化などは言いづらくて言えないこともあったので、全て正直にとはいかなかったけれど)
そんな人生を経て、私の中に自然と『嘘は極悪』みたいな固定観念が出来上がっていき、成人する頃には「素直に生きること」が、すっかり裏テーマになっていた。
そのおかげで、周りの人に恵まれることも多々あったので、これはこれで自分の生き方としてはアリだったと思う。
が!!
その『嘘は極悪』が、対自分じゃない人に向けられた時に、猛烈にややこしくなるんじゃないかと思えて来た。
自分の中の、幼い私が正義を振りかざして「嘘はダメ!絶対!!」と叫んでいる。
それが1番身近で信頼しているパパに繰り返し嘘をつかれることで『嘘は極悪』の信念がどんどん凝り固まっていってしまった。
信念なので、崩そうとされると猛烈な抵抗感を覚えるし、自分が信じてたものを崩されるような悲しみにも襲われる。
これがずーっとずーっとパパを許せなかった要因の1つだと思う。
正直、お金のことより嘘をつかれたことについて怒ることの方が多かったし、嘘をつかれたことを引きずることばかりだった。
しまいに「嘘をつく=愛していない証拠」と感じてしまって苦しんでいた。
今考えたら、この嘘について執拗にこだわってしまっていたのは私の育ちのせいなのかもしれない。
嘘ついたっていいじゃない。
なんかふと、そう思えた。
パパは自分の問題を見ないよう嘘をついていないと、苦しくて生きていけない人なんだから。
そして私は私でこの先も「素直に生きること」を裏テーマに生きればいいじゃない。
そう思えた今日。
また1つ収穫を得た気分になる。