パパはギャンブル依存症

依存症者を抱える家族の話

ギャンブラーが繋がった元ギャンブラーさん

出産前と出産中に盛大にスリップし、こちらが産後でもお構いなしに無意識に自分の世話をさせたがる我が家のギャンブラー。

 

産後1ヶ月は自助グループに足を運べない私だけれど、パパのギャンブル依存症が分かってから、数ヶ月間毎週のように通っていた中で自然と自助グループの仲間との繋がりが出来ていたことに今本当に感謝の気持ちが止まらない。

 

今回のスリップの件で、どれだけ励まされたかわからないし、様々な角度からパパの病状について意見を下さり本当に心強かった。

 

2017.6月以前には考えられなかった幸せ。

 

得体の知れない人物を目の前に、いつ自分の身にギャンブルや借金が降りかかるかわからない恐怖に怯え、人と違う生活を知られたくない一心で人付き合いも怖くなって、目の前の現実も霞んで見えていた日々。

 

渦中にいた当時はそんな暗闇な状態だとハッキリと自覚していなかったけれど、今振り返ると本当にドン底だったなぁと感じる。

 

そしてあの時、自助グループに繋がれて本当に良かったと心から思える。

 

出産という女性としての一大事業を成し遂げてる最中に、無意識にドン底へ突き落とそうと邪魔をしてくるパパ(というかギャンブル依存症という病気)に対して負けずに、比較的気持ちをしっかり持ち続けていられたのは、心から信頼出来る仲間に出会えたことで『何があっても大丈夫』と思えているから。

 

私が今の時点で1番望んでいないことは「離婚すること」だが、状況が許さなくなって結婚生活を続けられなくなったとしても自助グループへ通っている限り『大丈夫』と思えるだろう。

 

私にとってそんな平穏な心を与えてくれる自助グループや仲間の存在だが、肝心なパパにはそう思える環境がなかった。

 

自助グループや本人の会には足を運んでいたが、嘘をついてしまう性分ゆえに、本人の会でも嘘の自分を演じてしまい、結果自分の首をしめて顔を出しづらくなってしまっていたので、気軽に自分の問題を分かち合ってもらえる環境や関係は築けていなかった。

 

私は自分の体験から、自分の先行く仲間の存在や、回復している人達に会うことはとても大切だと思っており、その中でも自分に近しい経験をしている人には共感出来る部分も沢山あるので、より自分の中に取り入れたい感情や情報を取り込みやすいんじゃないかと感じていた。

 

出産前日に産休前の自助グループへ行った時に、仲間が教えてくれた回復途中のギャンブラーさんが、パパととても似ているように感じたので、その方がこちらに来る日を狙ってパパに会いに行ってみたらどうかな?と提案していたのだが、予定の日が平日だったこともあり、今回は難しそう。。と思っていたら、仲間がその方とパパを直接繋げてくれて、パパは回復途中のギャンブラーさんにお会いする機会に恵まれた。

 

側から見ても何かと共通点を感じる2人なので、3時間ほど色々話をさせてもらい、色々と感じることもあったようで、パパは穏やかな表情をして帰宅した。

 

最後に「衝動に駆られたら、いつでも連絡してきていいよ!」と言ってもらえたと言っていた。

 

これが自助グループの良さであり醍醐味だよなぁと感じた。

 

共通の問題を抱えた同士、先行く人が新入りをドン底から引き上げてくれるような安心感と心地よさ。

 

どんどん1人で勝手に孤独になっていってしまう病気なので、安心して繋がれる人がいると感じられるだけで気持ちも違うんじゃないだろうか?

 

回復はパパ次第だけれど、1つの場所だけでは出会えなかった人との繋がりが出来たことが本当に良かったなぁと感じる。

 

繋げてくれた仲間に、それを快く引き受けてくれた元ギャンブラーさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

彼らは定型パターンで生きている

パパの人生が8割ウソで出来ていることを悟った時、同時に一定のパターンがあることに気がついた。

 

気がついたと言うよりも、この数ヶ月ギャンブル依存症という病気について知識を深めて来たことが、また1つストンと腑に落ちた感覚。

 

ギャンブル依存症の進行の状態や、症状は細かい内容は違えど、嘘をついたり、強迫的な考えに囚われたりする部分はみんな同じだ。

 

2017.11月から密かにスリップしていたパパが2018.1月には2ヶ月経たずに借金が80万を超え、借金も回数を追うごとに金額が膨らむスピードが速くなり、

 

気持ちがどんどん詰まって行き、家族への後ろめたさと膨らむ借金への恐怖から、バイトへ向かう気持ちになれず、バイト先へも家族へも嘘をついて1月に1日休んでいたことがあった。

 

バイトの給料は現金の手渡しなのだが、1月分の給料が出た時は、私も産後すぐだったこともありしっかり確認しておらず、1日分少ないことに気づいていなかった。

 

ましてや仕事だけでなく、月にたった2〜4回のバイトまでサボってるとは思わなかった。

 

そしてパパを責める前に考えた。

 

「1月分の給料ってことは、スリップを言えずに借金で頭の中パンパンに詰まってる時だから、バイトをサボってどこか行ってたんだろう」

 

「思えばやたらと早起きで家族サービスが良かった休日があったな」

 

この2点が自分に後ろめたいことがある時のパパの定型パターンなので、本当はバイトに行ってないのに、行ったと嘘をついているんだろうなと確信した。

 

こういう時は決まってパパは「みんなに○○してあげたい」を主張してくるのだが、この日の休みはそのセリフを昼間から繰り返しては家族サービスをしていた。

 

そして、それに気づいた後にバイト代が1日分足りない件を話してみたのだが、私が先に私の考えた仮説を伝えると、正直に言いやすくなったのか、その日のことを話し始めた。

 

「スリップして借金をしてしまったことを、ママに"いつ言おう、いつ言おう"とばかり考えてて、バイトに行く気持ちになれなくて、バイト先にも家族にも嘘をついてサボってマンガ喫茶に行った。」

 

とのこと。

 

いやいや、マンガ喫茶好きだね。

 

と思わず突っ込みたくなるところだが、1つが腑に落ちるとパズルのピースが合うようにどんどん辻褄が合っていく。

 

そしてふと、これはギャンブル依存症の症状の定型パターンだなと理解した。

 

もしかしたら私が嘘をつかれたことに対していちいち腹を立てることなく、反応せずに一歩引いた目で見ることが出来たら、これほど分かりやすく対処しやすい症状もないのかもしれないと思った。

 

人は自分が本当に求めない限りは、そう簡単に変わらないという定説も含めて、この定型パターンを踏まえて一緒にいる間は付き合っていこうかなと思う。

 

人生、8割ウソじゃねーか!

↑タイトルの言葉が汚くてごめんなさい。

 

でもついつい心の中で、ツッコんでしまったんです。

 

パパが1月に、家族にもバイト先にも嘘をついて、バイトをサボって夜な夜な消えていた件について話してた時のこと。

 

私が先に、その日のパパの行動を想像して考えた仮説を伝えたところ、正直に話し始めた内容が、嘘のオンパレードで。。

 

いや、嘘のオンパレードは今に始まったことではなくて、私が知り合ってからギャンブル依存症になる前も嘘をついていないことはなかったし、

 

パパのつかなくてもいいような下らない嘘のせいで散々振り回されてきたので、その日の会話の中でふと心の中でタイトルのようなツッコミが湧いて来てしまった。

 

何なら幼少期から嘘をつくのが当たり前で、嘘を嘘だとわからないこともかなりあるようで。。

 

結婚当初はよく『虚言癖』を疑って、調べていたが、ギャンブル依存症と分かってから、依存症のせいなのかもしれないと思ったりもしていた。

 

だが、やはり幼少期を遡って聞いてみると『虚言癖』な事は間違いなく、何の得にもならない『虚言癖』と共にパパは29年間も生きて来たんだなぁと感心すら感じた。

 

本当に何の得にもならないことをひたすらに守り続けて、人を欺くことで自分を守れてると勘違いしたまま大人になってしまったパパが可哀想にも思えて来た。

 

そのままでいいのにね。

 

何も偽らなくてもいいのに、それが出来なくて小さい頃から嘘で固めた自分を積み上げて来てしまった。

 

よくギャンブルは止まっていても、自身の生きづらさを取り除かない限り苦しみは続くと聞くけれど、本当にそうだよなぁと思う。

 

ギャンブルや借金が止まっても、パパ自身が嘘や虚栄心から解放されなければきっと苦しいままなんだろうな。

 

そしてパパのことを悶々と考えて、全然自分に目を向けれてない自分も、パパのことを手放さない限り苦しいままなんだろうなと感じる。

 

責めても何も変わらない

よく自助グループで教えてもらうこと。

 

ギャンブル依存症は病気だから、責めても何も変わらない』

 

これについても頭では理解して、大分腑に落ちるようになってきたが、やっぱりインフルエンザの子供を預けてまで馬券場に走ったことを、責めずにはいられない。

 

パパには響かなくても意味はなくても、私は子供達のことに関してはパパを信頼していたから、本当に悲しい。

 

初日の朝以外、次男は楽しそうに3日間通っていたみたいだけれど、高熱の中で慣れない施設に連れていかれた次男の気持ちを思うと、本当に怒りの気持ちが湧いてくる。

 

何より腹立たしいのは、体調不良の次男を仕事と偽って預けたあと、カラオケ・マンガ喫茶・馬券場と3日間で27万もの借金をして散財した癖に、次男の病児保育(1日2000円)を、

 

「病児保育って高いよなぁ」

 

と言っていたこと。

 

いやいや、病気の子を親に代わって1日中看病してくれて2000円なんて安いくらいだよ?

 

その後、退院時に赤ちゃんのミルクやオムツと必要なものを購入した時にも、

 

「ミルクとオムツこれだけで5000円て高すぎ」

 

と言っていた。

 

いやいや、赤ちゃんにとっての生活必需品で、しかも数あるベビー用品の中でも安いの買ってるよ?

 

借金してまで3日間で27万も散財した人間がいうセリフだろうか。

 

以前も2017.11月にスリップしてた時、1年間ダンスを頑張ってきた発表会の後に、長女と次女に1つ800円の小物を買ってあげた時も

 

「こんなんに800円?高けー!」

 

と言っていた。

 

いやいや、1年間この日の為に頑張って来たご褒美だよ?もっと高いもの買ってあげても良いくらいだと思うよ?

 

ゲーム課金するために借金してまで1日35000円使う人間がよく言えるよなと思った。

 

頭がおかしいのはもちろん、人としての心までないように感じてしまう。

 

ギャンブル依存症を知る人達には

 

「そうじゃないんだよ、愛情がないわけじゃないんだよ、彼らは苦しんでるんだよ」

 

と言われるが、全部が全部そうじゃないよね?どこをどうしたらその行為から愛情を感じることが出来るんだろう?

 

回復に向かってる様に見えていた時は、少しはそういうことも感じられたけれど、結局自助グループ通いを増やしたのも、陰で盛大にスリップしていたからだったし。。

 

さらに精神保健センターの方の本人の会では

 

『自分は回復に向かってる』

 

と、本当は盛大にスリップしている癖に、平気で嘘をつき、偽りの姿で参加していたので、気まずいらしく、2月に入ってから行っていない。

 

それどころか2/14に、私に借金がバレてからパパは1度も自助グループへ行っていない。

 

ギャンブル依存症とわかる前までは、家族が一丸となって尻拭いをしてくれていたが、もう家族の経済的な助けはないことから、自助グループに足を運ぶ回数を増やして、自分の問題を見ないように気を紛らわせてただけ。

 

所詮、そんなものなんだなぁと思ってしまう。

 

回復する気も、見つめ直す気もないんだなと改めて感じる。

 

理解不能なパパの発言⑥

消費者金融のカードを持つと安心する』

 

昨夜、パパが言っていました。

 

私の入院中にいつから借り始めたのか、詳細を聞いていた時のこと。

 

自分のしたことがどういうことなのかわかっているのか、言葉を発する時は握る手にすごく力が入っていた。

 

『(カードを)何故か持ち出してしまった』

 

 『カードがあると普通これで借りれる!と思うと思うんだけれど、自分はこれで返せる!と思う』

 

と言っていた。

 

いや、最後の言葉の言ってること同じじゃない?

 

そもそも普通の人は消費者金融のカードを目の前に「これで借りれる!」とは思わないんだけど。。

 

普通の定義からして、大分感覚がズレている。

 

そして「これで返せる!」とは?

 

多分2つの意味があって、1つは。。

 

『これでまた借りて、それを元手に一発当てて全てをチャラに出来る』

 

という、「THEギャンブル依存症」な発想。

 

もう1つは。。

 

『とりあえずまだ限度額に達してないから、3月の支払い分を引き出せる』

 

ということだと言う。

 

どのみち理解不能なのと、本当に特殊な病気すぎて、どうして良いのかわからなくなってしまった。

 

2017.6月に『ギャンブル依存症』と診断を受けてから、病気だと言うことを教えてもらい、家族として出来る限り病気の理解しようと頑張って来たが、やっぱり無駄だった気がしてしまう。

 

『ギャンブルの問題に関して無力である』

 

と認めることを自助グループで学んだが、子供達や夫婦関係、家庭生活に支障をきたすような人間をどう理解していけばいいんだろう。

 

「回復したい、回復する気はある」

 

と繰り返すパパをいつまで信じたらいいんだろう。

 

「回復する」のフレーズが今まで何度も聞いて信じてきた

 

「もう2度と借金はしない」

 

「今度こそ、みんなを幸せにする」

 

の、代わりになっただけなんだろうなぁと感じる。

 

パパと生きていくのに本当に疲れた。

嘘と妄想

このブログはギャンブル依存症のパパと自分が、回復に向かう希望を込めて、ありのまま綴っていこうと思い始めたブログ。

 

なのに、回復どころかパパはどんどんエスカレートしていくし、エスカレートして行くから明るい話題が少なくなってしまうのが切ない。

 

今回は現在進行中で、ギャンブル依存症と借金依存症を拗らせているパパの嘘の世界と妄想について少し書いてみようと思う。

 

ギャンブル依存症が進行していくにつれ、パパの妄想は酷くなる。実在する人物を使ってありもしない世界を作り上げ、その人物を知らない人に言いふらすというのが定番パターン。

(これは借金額で首が回らなくなればなるほど悪化する。)

 

今回、2/22に予定帝王切開だったのにも関わらず、会社の人には

 

2/22「急に産まれることになった」

 

と連絡し、その翌々日には。。

 

2/24「赤ちゃんの調子が悪くて病院から出られないので出勤できない」

 

と連絡を入れている。

 

2/25は元々休みの日。

 

2/26「子供がインフルエンザでずっと病院から出られず、見ててもらうはずの母もインフルエンザで帰ってしまい出勤できない」

 

その後、会社の方が気を回してくれて落ち着くまで休んでいいよ!との返信をもらっている。

 

もちろん全て嘘で妄想の作り話。

 

2/22は予定帝王切開で出産しており、兄妹の中で1番週数も早く生まれたのに、1番声も体も大きな元気いっぱいの女の子。

 

2/24も私はまだ点滴いっぱいで比較的寝て過ごしていたが、娘は早々に保育器から出ていたし、パパがお見舞いに来たのは夕方の小1時間。

 

2/26〜2/28もお見舞いに来たのは、夕方の小1時間のみ。仕事に行っていないのに、仕事に行っているフリをして、インフルエンザの次男を病児保育に預け、パパはカラオケ・マンガ喫茶・馬券場三昧。

 

そして3〜4日で27万の借金を作る。

 

その理由を。。

 

「ママの車を運転したら今にも壊れそうで、この車に乗ってたらママが死んじゃうと思って、急いで車を買ってあげなくちゃと思って、馬券で当てて、前回の84万と今回の27万を一気に返して、車を買ってあげようと思った。」

 

と、言われた。

 

どなたかこの言葉の意味がわかる方いますかね??

 

私には

 

『一発当てて、借金返済から楽になりたい』

 (あくまでママの車はこじつけ)

 

と言っているようにしか聞こえませんでした。

 

私の住んでいる地域は車が絶対的に必要な地域で、私も自分用の軽自動車を所持している。

 

元々中古で数年で乗り潰す気持ちで購入した車で、確かに調子が悪く、この春の車検前には車を買い替えなくちゃねという話はしていた。

 

でもそんな必死に泣きそうになりながら

 

「あの車に乗ったら死んじゃうから、もう乗らないで!」

 

というほどではない。

 

もういつものパターンで借金返済という重荷に勝手に自分で追い込まれて、妄想の世界が始まっている。

 

これがもう少し進行すると、精神分裂的な要素が強まり、内容も過激になっていく。

 

前回2017年5月の340万の借金の時には、私は相当な別人格に仕立て上げられ、軽く犯罪者扱いされ、パパのせいで母子で警察に呼ばれ、結果そこで「被害者は私達」なことが証明され、むしろ警察や役所の人達に心配されるということがあった。

 

その後本人も認めていたが、借金が膨らむに連れて、妄想の中の嫁像(すでに私ではない)がどんどんエスカレートしていくらしい。

 

2017年の冬、パパが仕事で落馬して首と膝の骨を折る事故があった。

 

私は多額の借金をしているとも知らず、片道1時間かかる病院まで雪道の中、元気づけようと毎日のようにお見舞いに行っていた。

 

その頃の夫婦のLINEはハートがいっぱいのラブラブな内容ばかり。

 

3月の一時退院の時も、退院後に家にいた時もずーっと仲良く過ごしていた。

 

が!!

 

その入院の頃には借金がパンパンに膨らんでおり、当時の浮気相手の女には妄想の鬼嫁像の内容のメールを送っていた。

 

浮気相手と話した時に、やりとりの内容を色々と見せてもらい、その時に私とやりとりしていた内容もその女に見せてあげたことがある。

 

当然の反応だけれど、その女は自分の知ってるパパ像と実物のパパの違いに「全然違う。。」とビックリしていた。

 

後輩だったこともあり、頼れる先輩像を演出し彼氏のようなお兄さん的な存在でいたらしい。

 

うちでは私のことを「○○ちゃん♡」と呼ぶような完全に甘えたキャラクターで、いつも笑いを取ろうとおバカなことばかりしてるので、私は私で「兄貴ヅラ」したパパを想像出来なくて笑えた。

 

昨年、一昨年はそんなこともあったなぁと思いつつ。。

 

そういえば、パパの「身近な人間を妄想で悪者に仕立て上げる癖」は、私が付き合ってる頃は、義母や義妹に向けられていたことを思い出す。

 

実際の義母と義妹に会う前、私には相当怖い嫌な母と妹だと語っていた。

 

実際は聞いていた感じとは全然違ったし、本人も私に散々な悪評をしていた割には仲も良さそうにしていた。

 

小さい頃から嘘ばかりついていたとも言っていたし。。そう考えるとパパの人生の大半は嘘と妄想で成り立ってるのかもしれない。

 

小さい頃の過剰な期待に対するストレス、機能不全家族の中で育った影響は、大人になって色濃く残っているんだろうなぁと感じる。

 

ギャンブル依存症、借金依存症はほんの表面に過ぎず、本当のパパはどこにいるのかなぁなんて考える。

(その表面が家庭生活においては大問題なのだけれど。。)

 

私はどこまで付き合えるかな。

 

今までも何度も「疲れたーもう無理ー」と思ったけれど、今回も本当にもう疲れたし無理だよーと感じる。

 

嫌いになれたら楽なのにな。

 

【近況】スリップどころか依存症絶賛進行中

無事に退院した翌日。

入院中に何日か続けて仕事行ってるのかな?と思うことがあったのだが、それが的中していた。

 

2週間ほど前に84万の借金が発覚した消費者金融から、3〜4日の間でさらに27万を借りていた。

 

結局スリップしてから3ヶ月経たずに111万円の借金をしていた。

 

生活費何ヶ月分だろう。。

 

金額も進行度合いもエスカレートしてると私は感じるのだが、本人はよくわからないらしい。

 

その27万の使い道は、7万がゲーム課金、1〜2万が遊ぶお金、残りの18〜19万は競馬だという。

 

2/14に84万のスリップがわかった時、これからは誰も尻拭いしないことを告げて本人の問題としてお返ししたのだが、それが本人の一発当ててやろう心に火をつけた模様。

 

まさに典型的なギャンブル依存症者。

 

もうまともな話し合いなんか出来ないところまで来てしまったんだなぁと思いつつ、でも今までもそうだったかと諦めの境地にもなる。

 

でも1番は悲しい。

本当ーーーーーーーーに悲しい。

 

私が出産で入院中、次男がインフルエンザBになり、通常の幼稚園には通園することは出来ないので、止むを得ず病児保育を利用することになった。

 

それも私の入院中、パパは仕事を休めないという話だったから。

 

それにパパは仕事に子供達のお世話に大変だろうと入院中も色々とパパの負担が減るよう気を回したり、子供達にも沢山協力してもらったことが馬鹿らしく思えてくる。

 

まさか病気の子供を病児保育に預けて、遊び歩いたり、馬券場に入り浸ってるなんて夢にも思わず。。本当に酷すぎる。

 

ギャンブル依存症は病気です。』

 

↑この言葉を信じて理解に努めようと私は自助グループや色々な機会を利用して、病気への知識を深めて来たし、パパも病気とわかったからには治そうと思えると言って本人の自助グループに足を運んでたはず。。

 

でも一向に回復の兆しもなく、どんどん悪化していくパパ。。

 

でも家族への愛情も私への愛情もあるらしい。

 

これもギャンブル依存症者の話でよく聞くフレーズなのだが、本当に残酷だと思う。

 

『愛してるから一緒にいたい』

 

というパパの言葉を信じてここまで来た。

 

でもどんどん病気が進行していくパパといるのは、本当に苦しいし悲しい。

 

回復しない限りは愛してる人達を幸せにすることがどういうことかもわからないのだろう。

 

今現在は借金の苦しみから逃げようと、一発当てることで頭がいっぱいらしい。

 

お金のことを考えれば考えるだけ突き進んでしまうとのこと。

 

私からするとそれが依存症の症状でしょ!と思うのだけれど、結局自助グループに足を運んでるだけで自分の病気と向き合っていないパパはそれすらもわからないらしい。

 

色々話してくれるパパを見て「私、カウンセラーじゃないんだけどなぁ」と初めて思った。

 

私はカウンセラーじゃないし、パパがどうしようも出来ないことをどうにかしてあげることも出来ないのになぁと心から感じた。

 

そんな私は産後1週間で、インフルエンザBの次男と過ごしている。

 

免疫力も下がっているし、手術の傷口やまだ戻りきっていない体の不調があるから不安は不安だが、子供の体調が悪い時には側にいてあげたいと思う。

 

なのでギャンブル依存症という病気といえども、肉体的に健康で、仕事も休みで時間もたっぷりあったはずのパパが、次男を病気保育に預けて遊び歩き、馬券場に入り浸っていたことが本当に理解出来ない。

 

そしてパパは仕事で忙しいし、ママは入院中だからと高熱で体調不良の中、慣れない施設に数日通っていた次男を思うと本当に悲しくなる。

 

これがギャンブル依存症の症状なら、本当に残酷な病気だとしか言いようがない。